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2008年 08月 30日
8月中旬は、学校の新学期スタートでバタバタしていた。とくに由美子の方が買い物とかで走り回って大変だった。この時期が混乱するのはなぜかというと、新しい教科書カバーとか必要な文房具とかを1週間くらいでみんなそろえなきゃいけないから。夏休み前とかに連絡があるのでなく、新学期になってから、すぐに必要なものをそろえる。しかも先生ごとに指示がある。だからほとんど毎日文房具屋さんに行くことになる。
文房具屋さんはもちろん混み合っていて、Bad Homburg の中心部の Mülller などはレジの脇に袋詰めの係がこの時期だけ特別にいるサービスを去年からはじめたんだそうだ。そこでは、教科書にビニール製のカバーをかけるサービスもやってくれる。ドイツでは教科書は一年で用済みになるのでなく、次の学年が同じものをまた翌年に使う、ということをするので、表紙が傷まないようカバーを掛けるわけだけれど、教科書のサイズも厚みもまちまちなのでぴったり合うカバーを探すのが難しいらしい。店員さんと相談してぴったりのカバーをかけていっても、周平のクラスの歴史の先生がまちがってクラス全員に違う教科書を配ったことが数日後に分かったので、正しい教科書に合うカバーを探しにまた走る。そういう無駄なこともある。 この時期は夜に現地校の保護者会も開かれるので忙しい。しかも今年はいろいろ問題が多くて時間がかかる。周平のクラスの8月13日の保護者会では、歴史の先生が、違う教科書を配ったことについての言い訳を笑いながらしていた。この国ではやっぱり謝らないんだな、と思う。担任の B 先生がまたおっちょこちょいな人で、クラスの修学旅行の費用の振込先で最初に配ったコピーの銀行名前を間違ったからといって保護者会で新しいコピーを配ったが、そのコピーの銀行の口座番号が今度は間違っていて、全員その場で苦笑しながら直すということをしていた。ドイツの現地校での保護者会は、それ以外は極力コピー等を配らないで、口頭で何か言って大事なことをみんながメモを取るというやりかたが多い気がする。資源の節約? 終わってうちに帰ったのは夜10時すぎ。 京平のクラスは担任が替わるというドイツの小学校にとっては異例の事態(普通は1年生から4年間卒業まで同じ先生が受け持つ)で、8月19日の京平のクラス3年生保護者会はそれの経緯の説明とかにだいぶ時間を使っていた。終わったのはやっぱり10時すぎ。 会社が8月29日に引越をするので、それに間に合うように22日まではほとんど荷造りに費やした。段ボール箱14箱。中身はほとんど本。バスカービルの刷った聖書とかカスロンの書体見本とか200年前の印刷物(私物)も多いので、そういう大事なのは家に持って帰った。 29日は朝から会社の引越でどっちみち仕事にならないので出張の代休。同じ地域だけれど新社屋は家から遠くなる。これまでのように歩いていくと時間がかかるので、新しい自転車を買った。こないだ車も買い換えた(といっても中古)ばかりで、いろいろ出費が多い。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-08-30 10:30
2008年 08月 17日
8月16日の土曜日の夜、いつもどおり日本人学校の作文の宿題を周平があらかた終わらるのを待って10時ちょっと前に子供を寝かせようとしたら、京平が観察用に育てているトマトに水をやっていないことに気づいてバルコニーに出た。よく晴れた晩で、月が出ている。そうしたら隣の人が望遠レンズ付きのカメラで月の方をねらっているので、何かと思ってよーく月を見たら、夕方(といっても9時ちかく)に満月で昇った月が欠けていて、欠け方がおかしいことに気づく。これは月食か?といって、上の階に昇ってそこの窓から見ていた。10時から遠くの打ち上げ花火も見えたりして、盛りだくさんの夜更かしに子供が喜ぶ。そのあとで京平は先に寝てしまったが、周平と由美子と私とでけっきょく11時過ぎまでねばっていた。その間、ドイツ語で「月食」って何て言うと思う?とかあれこれ周平と考えながら。周平は「月の色があせる」みたいな言葉を思いついた。私は「月が覆われる」という意味の言葉を考えたが、答えは翌日のニュースに出るだろう、といって、満月のはずの月がここまで欠けたところを確認してから眠くなって寝た。
![]() 17日の日曜日は、期待通りニュースで月食のことをやっていた。ドイツ語で「月食」は「Mondfinsternis」だった。「月闇」みたいな意味になる。 日曜はいつも日本の両親に電話をする。きょうは子供が月食の事を興奮気味で話していた。昼少し前に、子供たちに森の中で木登り体験をさせようと、由美子が聞いてきた情報をもとに車で近くの Seulberg のスポーツセンターへ。涼しいので長袖です。 指導員が安全ベルトを体に合うように調節してくれて、あとは自分のペースに合わせて進む。木の幹の休憩場には3人までで、それ以上たまらないようにという指導があった。みんなきちんと守っている。これは初級者コースを渡る周平。頭の上を別のコースの人が滑車で通っている。 ![]() ![]() このあと、近くのレストランでお昼を食べて、やはり近くの森の中のミニゴルフ場へ。周平がホールインワンを最初に出し、私と由美子と京平もホールインワンを出したので、ごほうびにガソリンスタンドでアイスを食べて帰る。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-08-17 05:20
2008年 08月 12日
2008年8月8日は京平の8歳の誕生日だった。由美子が前日の晩に焼いておいたマフィンを小学校に持っていき、みんなに配る。夕食は家で京平の大好物、鶏の唐揚げ。そのあとはもちろんケーキ。きのう、日本に住んでいたときのことを子供たちがどれだけ覚えているか聞いてみた。周平は5歳まで日本にいたので、新宿の落合のマンションのことをわりとよく覚えていましたが、京平は2歳でこっちにきたので、ドイツの前のアパートのことはよく覚えていても日本のことはよく思い出せなかったようです。
9日の土曜日は、日本人学校の補習校の始業式。夏休み前に受けていた漢字検定の六級に周平が合格、十級に京平が合格した。 アメリカ出張のさいのゴタゴタも一月たってやっと清算できた。Air Canada にはしつこく連絡して、荷物が届かなかった3日間のために買わなくてはいけなかった着替えの代金を請求したら払ってもらえるということになったし、出張の前にフランクフルト空港のラウンジにうっかり忘れたレインコートもルフトハンザが宅配便で届けてくれた。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-08-12 06:36
2008年 08月 03日
7月22日に私はアメリカからカナダのトロントを経由して、由美子と子供たちは日本からドイツに戻った。26日の土曜日から28日の月曜まで、私は月曜に休みを取って電車を使って Würzburg の町へ。暑かった。気温32度のギラギラの陽光の下で、世界遺産レジデンツの鉄製の門扉をみると...
![]() ![]() プールのあるホテルをとったので、そこで子供たちは存分に泳ぐ。京平の泳ぎも少し上達した。きのう8月2日は、由美子と子供たちは朝6時45分に起きて8時からのフリーマーケットに出店、私は部屋の片づけ。夕方からは、日本に転勤が決まった T さんの送別バーベキュー会に家族揃って行って夜11時過ぎに帰ってきたので、子供たちは今朝9時になっても起きてこない。 きょうで子供たちの夏休みが終わる。 (追記) このあと、京平と私はプールに行って、京平が夏休みの目標であった「タツノオトシゴ」検定に合格。25メートルを平泳ぎで顔を沈めずに泳ぎ切り、水深1メートル(もしくは肩の深さ)のプールでもぐって、底に沈んだプラスチック製の輪を拾って、見事合格の証書とワッペンをもらった。これがないと、現地小学校の3年生からはじまる水泳の授業で赤ちゃんプールに振り分けられてしまうため。夏休み前に取ろうとして一回検定を受けたんだけど、そのときは失格になっていました。そのときは、顔を沈めてはいけないということを知らなかった。周平は最初から顔をつけない泳ぎ方をしていたのでそのまま検定に通ったが、京平は顔をつけて息継ぎする方法で泳ぎを覚えていた。そっちのほうが難しいと思うんだけど.... 午後は家族全員で出かけて Hirschgarten で食事のあと、ミニゴルフをした。由美子がこのホールでこのあとホールインワン! 混んでいて順番待ちの人が後ろに10人くらい見ているなかで打ったのに、プレッシャーをはねのけての快挙でした。待っている人からも歓声と拍手をもらいました。最後のホールでも再び由美子はホールインワンでした。 ![]() #
by akobayashi_dnikki
| 2008-08-03 09:10
2008年 07月 21日
アメリカはニューヨーク州のバッファローから更新です。ここで開かれている書体デザインのコンファレンス TypeCon に来ました。
今回はへとへとに疲れました。フランクフルト空港からカナダ航空でカナダのトロントに行き、そこからバスで国境を越えてアメリカに入るという算段だったのですが、トロント空港に午後1時半に着いて、荷物受け取りのベルトの前で40分くらい待っても他の同僚二人と同時に預けたのに私の荷物だけが出てきませんでした。周りにも10人くらい荷物が届かない人がいた。荷物を宿泊先に届けてもらうための手続きとかを含めて、空港を出たのが3時半、バスからタクシーに乗り換え、国境のアメリカ入国審査で6時から8時過ぎまで2時間待ち。ホテル着が9時。つまり、飛行機に乗っていたのは8時間くらいだったけど、トロント空港からバッファローのホテル入りまで7時間半かかったことになる。 これはバッファロー市庁舎。アール・デコの建物は好きですが、この殺風景な町の中でドーンと建っているとちょっと不気味。 ![]() それから毎日、荷物が届いていないかどうか、ホテルのカウンターでカナダ航空に問い合わせの電話をかけるのが日課になった。荷物が来ないと着替えもできない。コンファレンス初日は来たときのままの服装でがまんしたが、2日目はさすがに着替えが欲しくなり、ホテルの人にきいたら、バッファローの街中にはバーとか飲食店はあるけど、服を買えるような店がない。ホテルのシャトルに乗って30分走り、ショッピングモールまで行き、3日間分の下着を買った。3日目には、コンファレンスの関係者 C さんが私のことを心配してくれてシャツを買ってプレゼントしてくれました。 荷物は3日目の夜遅く私が寝てから届いたらしく、受け取ったのは4日目、コンファレンス最終日の朝だった。心配してくれた人たちに「荷物が着いたよ!これで1日に3回着替えができる!」と報告してまわる。コンファレンスの内容そのものは面白かったと思うんですが、2日目の午後は買い物に当てなくてはいけなかったこと、ホテルのフロントで問い合わせるなどで時間をだいぶ使ったので、最終日まで落ち着くことができなかった。 最終日の私の出番「10分間書体審査」のコーナーはいつものマシュー・カーターが今回は参加できず、代わりのマイク・パーカー氏といつものジョン・ダウナーと私の三人で書体デザインを持ち寄った人にアドバイスをした。それが終わってマイクに Times Roman についての彼の講演のことでちょっと話をする。遅い昼食をとりにいったらポール・ショーを見つけたのでいっしょに座らせてもらい、彼の今回の講演のテーマであるルネサンス期の大文字のレタリングについて話した。コンファレンス会場であるホテルに戻る途中、ポールとこのレタリングの前であれこれ話す。 ![]() きょうこれからホテルを出てトロントに向かいます。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-07-21 06:42
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