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2006年 04月 16日
●ブリュッセル 4月13日(木)・14日(金)・15日(土)・16日(日)
イースター休日の前の13日、そして後の18,19日に2日休暇をとった。まず去年の秋に行きそこねたベルギーのブリュッセルに行く。そこで3泊した後オランダのアムステルダムにで2泊、最終日にドイツに戻ってきてデュッセルドルフで1泊してフランクフルトの日本領事館に午後4時に入る予定。今年の6月で5年間の有効期限が切れる子供のパスポートの更新のため。 前日に医者に行った。京平は気管支炎と言われて、咳止めの薬をもらってきた。 13日は幼稚園でイースター恒例の「Eiersuchen(卵探し)」があるので、幼稚園最後の思い出に、ベルギーへの出発を予定より遅らせて京平を参加させたいと由美子が言っていたが、外は薄暗く、寒くて風も強いので幼稚園は休ませて午前10時半にベルギーに向けて出発する。 約3時間走ってベルギーに入る。とたんに高速道路の路面の状態が悪くなって、標識も変わってベルギーに来たという実感がわいた。午後3時前にブリュッセルに入ったが、予約してあるホテル・ノボテルを見つけるのに道に迷い、人に尋ねながら町を走ったのでやや時間がかかった。 さっそくブリュッセル名物のムール貝とポテトフライを食べる。回の出汁がおいしい。ドイツでは味わえない出汁のうまみに感激した。グラン・プラス前の Leonidas のチョコレートを買ってホテルに帰る。ホテルにプールがあって子供達は大はしゃぎ。さいわい京平の風邪はたいしたことなくおさまってきた。 14日、朝早く起きて一人でホテル周辺を一回り。手書きの看板で面白いのがたくさんあるので写真に撮った。これはまったく個人的な感想だが、料理の美味しい町は、手書きの看板も上手いんじゃないだろうか。 家族で一日乗車券を買い、地下鉄と路面電車を乗り継いで、ブリュッセル王立美術館で、中学生の時から好きだったマグリットの絵『光の帝国』を観る。そのあと由美子が人から美味しいと聞いてきた Pierre Marcolini のチョコレートを買って、Wittamer でもチョコレートを買おうとしたら、ベルギー人の店員さんが日本語を話すのでちょっと驚いた。いろいろ聞いて選ぶことができた。ここのケーキも美味しい。砂糖をカラメル状に香ばしく焦がしたタルト菓子のお裾分けを前に人からいただいたことがある。それが実に美味しかったので、単純な私はベルギーは何でも美味しい国と思っている。 午後はオルタ博物館でアール・ヌーボーの建物を観る。地下鉄の駅で手に取ったフリーペーパーはオランダ語で書かれていたが、単語によってはドイツ語とほとんど変わらないものが多い。私も周平も広告のキャッチフレーズくらいは読んで意味がわかるので、面白いねと笑った。 15日はアントワープに出かける予定を変更してブリュッセルにとどまり、古道具市をぐるっと見て、Pierre Marcolini で前日に買えなかったチョコレートケーキを買い、楽器博物館に行く。入場と同時にヘッドホンを渡されて、それで展示してある楽器の前に立つとその楽器で演奏している音が聞こえてくるというしくみで、思ったより面白かった。 夕方、食事をしようとあれこれ店を探すが、子供連れで入れるような気楽な感じの店が近くになく、雨も強く降っていたので仕方なくホテルのレストランで食べることに。注文してからけっこう待たされる。魚のスープを食べた私はその後気分が悪くなったが、部屋に戻ったらすぐおさまったので、気のせいかなくらいに思っていた。 16日、ぐっすり眠って朝起きたところ、夕食に鮭のステーキを食べた由美子から、夜中に食中毒になって大変だったと聞かされた。フロントに電話をしてそれを告げ、薬をもらいたいと言ったら親切そうな対応の係がやってきて、丁寧にわびて由美子の夕食の代金を差し引いてくれた。由美子は2時間くらいしか眠っていないが、ホテルに居たくないというので、午前10時半にオランダのアムステルダムに向けて出発。オランダに入り、高速を降りてチューリップが観たいという由美子の希望で予定に入れていたキューケンホフに向かう。オランダは真っ平らで高速道路も見晴らしが良くて気持ちいい。ベルギーではほとんど曇りか雨だったが、晴れ間がでてきた。ちょっと迷ったが無事にキューケンホフにつき、中に入るのに大人二人子供二人と駐車場料金合わせて41ユーロ、日本円で6000円弱というのは思ったより高かった。園内はなんのことはない普通の庭園よりもちょっときれいかなというくらい、人が多くて、花を見に来たのか人を見に来たのかわからない。 アムステルダムのホテル・ノボテルへは迷わずに到着したが、ホテルの案内の人に聞いたら、あてにしていたショッピングセンターやホテル近くの店はどこもイースター休暇で閉まっているそうなので路面電車で町へ出る。路面電車はけっこう揺れて、立っているとどこかに掴まらずにはいられない。ちょっとしたテーマパークみたいな感じ。たしか3年前のリスボンの時もそんなことを書いた。 簡単な食事ができるところに入り、コロッケもあってけっこう美味しいので喜んで食べていたら、店員さんが「あと3分で店じまいです」と笑顔で言うのでさっさと食事を済ます。同じ言われるのでも笑顔でゆっくり言われると気分は悪くない,かえって子供がふざけなくて良かった。周平の日本語学校の友達ミホちゃん家族も同じホテルで泊まっているので、夜ミホちゃんママとロビーで話す。 ●4月12日(水) 京平の咳が止まらず、また幼稚園を休ませる。 ●4月11日(火) 由美子が京平を幼稚園に送って行ったが、普段火曜日は外に出ないのに今日に限って遠くの公園に散歩にいったらしい。まだ外は寒い。 ●4月10日(月) 京平が咳きこむので、幼稚園を休ませる。土曜日の自転車が良くなかったか。今考えると土曜日は寒かったし、風も強かった。せっかく友達と約束して朝7時前に張り切って起きたんだから、と思って無理をしたかもしれない。 ●4月9日(日) 午前中は家でゆっくりして、午後に車でツェッペリン博物館に行く。昔の飛行船の映像を使って解説してくれるビデオが充実していて面白かった。夕方、空港に行って日本に帰国する S さん家族を見送る。 #
by akobayashi_dnikki
| 2006-04-16 20:52
2006年 04月 08日
●4月8日(土)
周平のドイツの小学校は今日から2週間イースター休暇。私の通うドイツ語講座も今日は映画『Good Bye Lenin!』鑑賞会をして、旧東ドイツのようすを語り合い、その後各自が持ち寄った手料理を食べて休講となった。5月6日まで講座は3週間お休み。私は由美子がつくったメロンパン、あんパン、ソーセージパンを持って行った。どれも好評で最後の一個のメロンパンは奪い合いになった。実際おいしいので、私も嬉しい。写真は持って行く前に撮ったもの。 午後は京平の幼稚園の友達パブロとそのお父さんといっしょに4人で自転車に乗って遠くまで走った。春風が強くてほこりっぽかったが京平は大喜びで元気に走っていた。ワールドカップのチケットの話になり、我が家は申し込んで外れたと言った。Pablo のパパの Uli は、「あれはインターネットに接続できる人しか申し込めないから不公平だ。またチケットの3分の1は大企業や VIP 用に配られるのでそれには反対だから申し込まなかった」と言っていた。 ●4月6日(木) 京平の通う幼稚園の劇の発表会が午後3時にあるので、会社を休む。ビデオを持って行って劇のはじめから終わりまで撮る。劇はグリム童話の『いばら姫』で、みんなけっこううまくやっていた。召使い役の京平の「どうしてこんなに長く眠っていたんだろう」の台詞も完璧で、良かった良かった。片づけを手伝い、家族全員で市の図書館に行く。 ●4月3日(月) 沖縄のデザイナーの宮里さんの 「トリビア」な疑問 についての調査を開始した。宮里さんは、Futura 書体がナチスと関係あるという噂を変に思い、私にメールで尋ねてきて『デザインの現場』2004年10月号の記事のきっかけをつくってくれた人。 一言で言うと、デジタル時代初期のフォントは、ITCなどからデザインをライセンスした発売元は清刷でデザイン原図を渡されるので、それぞれ自分のところでデジタル化しているために発売元によってデザインが微妙に違います。重ねてもぴったりと合うのはほとんどないです。 中国の人が私の記事を書いた。文章データをみたいといったら送ってくれた。読めないけど、ところどころの漢字を拾うとちゃんと書いている気がする。雑誌が刷り上がったら送ってくれるそうです。 中国語でライノタイプは「莱若泰普」と書くことがわかった。 ●4月2日(日) 朝6時に起きてテレビのチャンネルを回していたら、ばかばかしいイタリア映画がちょうど始まったところで、けっこう面白くて最後まで観た。『ブルース・ブラザーズ』のイタリア版という感じ。1980年代の映画だと思う。車のスタントが見事。最近の映画は特殊効果ばっかりで、スタントとかにリアルな迫力がないのが物足りないけれど、昔の映画のこういうスタントは大好き。私は小学生の頃スタントマンにあこがれたことがある。 フランクフルトの鉄道博物館「Feldbahnmuseum」に家族全員でいき、公園の中を行き来する蒸気機関車にのる。4月になったとはいえ、午前中はまだセーターとヤッケを着ていても寒い。その後で「お金の博物館」に行く。いっきに日が長くなり、もう夜の8時まで明るい。 ●4月1日(土) 朝食をとり、学校でお泊まりした周平を8時に学校まで迎えに行き、そこでの朝食会で8時45分までペーターのお父さんやヨハニスのお父さんとしゃべる。朝食を食べ終わった女の子達が側転をやりだして親達はその元気さに驚いていた。由美子に車で送ってもらって9時からのドイツ語講座に出席。先週の病欠の遅れを取り戻さなくては。今回の風邪は医者にも行かず、会社も休まずにすんだ。 私のドイツ語講座は、小学校3年生の周平とちょうど同じようなレベルのことをやっている。周平は「2」をとれるが、周平の担任の先生はすごく早口だ。同じ書き取りのテストを受けたら私は「2」がとれるだろうか。 ------------------------ 今年4月30日で、私がドイツに移り住んでからちょうど丸5年になります。これを一つの節目として、これまで嘉瑞工房のウェブサイトを間借りして公開してきた私のドイツ日記をブログにします。嘉瑞工房のウェブサイトには長い間お世話になりました。別に仲違いしたわけじゃないので、ご心配なく。嘉瑞工房や嘉瑞工房のウェブサイトを管理している立野さんとは、ほとんど毎週メールのやりとりをしています。これまでの私の日記はこちらの 嘉瑞工房ホームページ へ。 嘉瑞工房ホームページにアップロードするこれまでのやりかただと気軽に直せなくて、私より忙しい立野さんの手を煩わせるので悪いなと思って気にしていました。ブログについてはほとんど無知ですが、試してみたら自分の日記を自分で編集できる気楽な感じがあるもんですから、単純にはじめてみようと思います。画像も簡単に入れられるのも気に入ったので、これまでほとんど文章でいろいろ書き残そうとしてきましたが、これからは家の周りの様子や買ったもの、行事とかも画像で残していきます。「小林の視点」の文字の写真とかも入れようかなとも思います。 更新は、毎日というのは無理そうですから、一週間くらいを目安にします。 そんなわけで、4月1日からブログに切り替えたドイツ日記です。 #
by akobayashi_dnikki
| 2006-04-08 19:22
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