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2008年 11月 03日
東京 TDC のお招きで恒例の日本出張に行ってきました。セミナー4つと、3日間に渡る TDC の審査をこなしてきました。
10月16日木曜日、夕方ドイツを発つギリギリまで仕事をしていた。今年の夏頃から運悪く予定外の仕事が重なって、家で由美子と話をする時間がまともに取れなかったくらいで、日本で買う食品などは由美子が細かくメモに書いて渡してくれた。飛行機の中でもセミナーの準備を少しでも進めるため映画もなにも観ないでラップトップに向かう。17日の金曜日に日本に到着、電車で移動の途中も仕事で、私が実家についたのが夜8時、弟が10時ころ到着して、数年ぶりに一家4人がそろった。土曜日曜とゆっくりしていようと思ったが、トイレとか台所の掃除や照明器具の取り替えなどで結局毎日忙しかった。母とは昔の話をたくさんした。この家の立て替えの前の間取りはどうだったかとか、以前にも聞いていたけど、戦時中に母が女子挺身隊として西大畑から昭和石油まで片道2時間毎日歩いていたこと、昭和石油が米軍の艦載機の攻撃に遭い、艦載機からの機銃掃射で腰を抜かした母が目の前の防空壕にたどり着けなかったことなどを詳しく聞いた。そういえば、子供の時は『コンバット』などの戦争物テレビドラマが好きで仲間とも戦争ごっこをしていたが、戦争は格好良くもないし面白くもないということにはじめて気づいたのが高校生になってその話を聞いたときだったなあ。 20日の月曜、私の休みに合わせて休暇を取ってくれた従兄弟の車で温泉に行く。21日には母に付き添って K 病院へ行ったあと、ひとりで會津八一記念館に行ってそこの学芸員 Y さんに会う。戦後、母が勤めていた新潟公民館の用事で會津八一邸に何度かお使いに行って母が會津八一に会っていたらしいということを話したら驚いていた。「會津八一書論集」という本をいただき、その中で八一がローマ字のデザインに触れているのも面白かった。22日の水曜は、また従兄弟に津川の親戚や美術館やいろんなところに連れて行ってもらって、美味しい蕎麦も食べた。久しぶりに会う親戚がみんな元気そうで何よりだった。新潟はずっと晴れで、最高気温は25度まで上がった。 10月23日、朝9時に新潟を離れて午後に多摩美に入り、多摩美で講演ののち新横浜から新幹線で京都へ。多摩美を出るときから雨がかなり降っていた。京都の駅前のホテルに着いたのは夜10時だった。鳥海さん(たまたま同じホテルを予約していた)、昌生さん、立野さんといっしょに翌朝ちょっとだけでも観光しようと9時の待ち合わせにした。今回、目覚まし時計をドイツに忘れてきたらしいが、大丈夫だろうと思ってそのまま寝たら、翌日の朝、目が覚めたのが8時40分! 大急ぎで支度してホテルのロビーに降りる。前の日に買ってあったパンをタクシーの中で食べ、銀閣寺を観にいく。銀閣寺は工事中だったが東求堂は拝観できた。 24日午後に京都精華大で講演、私のローマン体の講義とワークショップのあとで、字游工房の鳥海さんといっしょに雑談形式の講演をした。鳥海さんといっしょに講演会に出るのは初めてで、いい話ができた。定員110人の教室で立ち見が20人くらいいた。精華大の人と夕食のあと、場所を石塀小路という一角にある風情のある民家を改装したバーに移して語り合う。 翌日25日は京都のホテルを出て大阪に移動、講演会場である大阪 ddd ギャラリーに昼前に到着して昼食後にセミナー開始、参加者から質問をあらかじめいただいておいてそれに答える、という形式で行う今回初めての試みで、定員80人いっぱいだったが、会場も明るくてなごやかな雰囲気のおかげか、気楽に話ができた。終わってから、参加者のひとりに「思ったより明るいのでびっくりした」と声をかけて頂いた。美術出版社の宮後さんと高岡昌生さん、立野さんといっしょに東京へ戻るときに新幹線の時間まで間があったので待合室でたこ焼きと鯖寿司の夕食をとる。 新幹線で東京に着き、お茶の水にあるホテルに入ったのが夜の10時半だった。知り合いの M からホテルのカウンターに電話があって、翌日のことで打ち合わせ。翌26日は、今年8月末に亡くなった大学時代の親友 T の家に挨拶にいった。昼前だったが、お母さんがカツサンドイッチをつくって待っていてくれた。25年前のようにたくさんごちそうになって、たくさん話をして帰った。 27日、お昼はカリグラフィユニットのモジトルの S さん H さんといっしょに食べて、そのあと銀座へ。インタビューの用事がふたつ重なっていて、テーマが同じ Helvetica についてなので二つを一つにまとめてもらい、合同インタビューということにしてもらっていた。それがおわって夕方6時の会食に向かう途中、H&M の前に行列を整理するらしい係員二人と行列用のロープが張ってあるのを見て、噂に聞いていたのはこれかと思ってしばらく見ていた。由美子に見せようと思って写真も撮った。月曜の夕方だったので行列こそできていなかったが、見ているとどんどん人が入っていく。10秒間で10人くらい、吸い込まれるようにどんどん入る。私も話の種に店に入ってみる。店内は人がごった返しているが、商品を整理する店員が多いためか、ディスプレイもきれいで整然としていた。ドイツでは H&M に行列なんて絶対できないし、店内は雑然として服なんかハンガーからずり落ちて床に落ちているし、私の家族みたいにお金持ちでない人たちの行く店なので H&M に行くこと自体にワクワク感はない。子供の服がきつくなったけどお金がないから15ユーロ以内で...みたいなときによく寄る店で、そこで私も季節はずれになった処分品を買う。そういう店なんだけど日本だと銀座で行列なのか...来ている人もおしゃれな人が多い。H&M を出て資生堂パーラーのディスプレイがきれいだったので店内をゆっくり眺めているうちに夕立になった。びしょぬれで天ぷら屋さんに入る。 28日の東京工芸大学でのセミナーは250人収容の講義室が満員だった。今回は初めてセミナーあとのサインや名刺交換をしないことになった。例年のようすから、それをやり始めると2時間くらいかかりそうなのでTDCの方と相談した結果なんです。でも、肝心のセミナーでは専門的な内容を気楽に解説できたと思う。文字の世界って楽しいんだ、そういうことが伝わればいい。そういう意味で、今回の公演ツアーは大成功だったと思う。 29日、TDCの書体デザイン部門審査会のあと葛西さんと広尾の日本料理屋さんで夕食。料理も美味しかったけど部屋のつくりがよかった。灯りは乳白色のガラスの傘がついた白熱灯ひとつ。これが気に入った。日本だと、たいていのお店は蛍光灯だけど、白熱灯一つの照明の下だと料理の陰影がきれいに出て、それが丁寧につくられたように見える。じっさい丁寧につくられていた。食事のあとでその店の女性オーナーにそのことを話して、勇気の要ることですよね、といった。葛西さんが、持参したその店のロゴを入り口のどの位置に入れるか外に出て慎重に検討していた。 30日も、TDCのグラフィック部門審査会で、そのあと友人の M さんたちと夕食会。31日、グラフィック部門審査会を終えて日本で最後の晩はTDCの人たちといっしょに夕食会。会場に移る途中で浅葉さんと卓球の話をしながら行った。 11月1日はホテルの人に5時45分にモーニングコールをしてもらい、荷物をスーツケースとバッグに詰めて朝の8時に成田行きのバスに乗る。ANA のカウンターで預け入れ荷物の重量を量ったところ、制限の 40kg ギリギリの 38.5kg だった。由美子に頼まれた味噌などの食料品が多いからどうしても重くなる。23日から31日まで、一人でいる時間がほとんど無かったなあ。落語に行くかなんて考える暇もないくらい忙しかったけど充実した時間だった。 飛行機の中は、映画をみたり制作中の書体の仕事をしたりして眠らないできた。ドイツのうちに戻って、夕食後に荷物をといておみやげを子供たちに渡したところで眠くなり、9時に寝た。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-11-03 19:08
2008年 10月 15日
子供たちの学校の秋休み(2週間)に合わせて、10月9日から13日までロンドンに行っていました。飛行機でなく特急 ICE と Eurostar を乗り継いで行きました。7時間かかるけど飛行機よりも楽です。手荷物検査とかも簡単。
ロンドンでは、河野英一さんとか、ロンドンで働いているデザイナーとかプロのカリグラファたちとか、いろんな人と会ってきました。寄席文字の橘右門さんのワークショップがあるよ、と声をかけたら集まってくれたんです。こんなスゴイ人たちが集まっている! という顔ぶれでした。右門さんとも久しぶりにゆっくり話ができたのも良かった。いやー不思議な縁だねー、と右門さんが感心していたけど、本当にその通り。 鉄道ファンの右門さんから聞いて、ホテルからすぐの Waterloo 駅から発車するという珍しい蒸気機関車も見てきました。右門さんもいるんだけど、ホームの先端まで行って写真撮っていたのでここには写っていません。あとで見せてもらったけど、鉄道ファンだなーという良い写真いっぱい撮ってました。 ![]() 子供たちはハイドパークでリスに栗をやるのが面白くなってそこで3時間くらい使っていたけど、せかせか歩き回るよりのんびりできて良かった。 ![]() 当時通っていた英会話学校の前でも記念撮影。周平がシャーロック・ホームズに興味を持っているのを知ってちょっと驚いた。あとから聞いたけど、私が寄席文字ワークショップ、由美子と子供たちは市内見物と別行動をしたときに、周平がシャーロック・ホームズ博物館に行くためにベイカーストリートのどこでバスを降りるか運転手さんに英語で尋ねたらしい。学校で英語を習いはじめた京平も、ホテルの人に何か頼み事をしたときに Thank you がちゃんと言えていた。 最終日は荷物を持ってホテルから出てタクシーに乗り、交通博物館へ。博物館からセント・パンクラスへもタクシーで、向かい合わせの座席に京平が座って喜んでいた。 5日間ずっと晴れていて気持ちの良い秋のロンドンでした。 17日から日本出張。東京TDCのお招きでセミナーと審査会です。16日の夜に日本に向けて出発です。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-10-15 20:31
2008年 09月 22日
ATypI(国際タイポグラフィ協会)コンファレンスのため、9月16日から21までロシアのサンクト・ペテルスブルグに行ってました。
今回の私は担当は17日、18日の二日間にわたってロシアの学生さんたち14人を相手に書体デザインを教えるワークショップ。これは昨年12月にニューヨークでやったのをマキシムが見ていて、ロシアで同じ事をやろうということで今年初めから計画していました。最初の2日間でワークショップがおわるので、コンファレンス後半は気楽でいいやと思ってたんですが、出発の前々日、14日の日曜日の夜にロシアからメール連絡が入りました。20日の夕方に講演をする予定のエリック・シュピーカーマンが急遽欠席ということになり、その穴を埋めるために私に代わりの講演をして欲しいという依頼でした。大看板のシュピーカーマンさんの代わり、というのはちょっと足がすくみましたが、けっきょく引き受けました。内容はツァップさんとフルティガーさんとの共同作業の話。 プレゼンテーションの用意なんてまったくしていなかったので、15日の月曜に会社で資料をスキャンして画像をとりあえず揃え、火曜日はロシア行きの飛行機の中から画像の準備を始める。最初の2日間はワークショップのほうに集中。学生さんのレベルもなかなか高く、ワークショップの結果は上出来でした。二日目は、仕上がった書体の展示を会場のメインホールでして、満足そうな笑顔の学生さんに囲まれて写真を撮りました。そのあとで、シュナイダーさんの作品が展示されているというカリグラフィ展まで40分かけて歩きました。 コンファレンス3日目は普通に参加してキリル文字について私もちょっと勉強。夕方から夜中まで講演の画像の準備。4日目、講演の当日は朝からホテルに缶詰状態、昼はショッピングモールの近くのパン屋さんで鶏肉とキノコを煮込んだ具が入った平らな肉まんみたいなパンを買ってきてすぐ部屋に戻り、パンを食べながら画像の準備をした。これはそのパン屋で売っていたトルテ。装飾の仕方がドイツやスイスと違っていて面白い。 ![]() 準備は4時ころ終わって、5時20分からの講演そのものは落ち着いてどうにかこなしました。これは私が講演したのと同じホール。このゴテゴテの装飾がいい。トルテの装飾と共通性があるような気がする。壇上は私でなくジェリー・ケリーさんです。 ![]() 街を歩くのが面白かった。これはサンクト・ペテルスブルグの表の顔、つまりメインストリートにあるショッピングモールの外側。 ![]() ![]() 5日目、コンファレンス最終日に、社長と同僚のナディンとエルミタージュ美術館まで歩いたけれど時間が遅くて閉まっていた。街をぶらぶら歩いて、そのあと空港へ。フランクフルト空港に着いて荷物が出始めたのが夜9時ちょっと前だったので、これは9時15分くらいにうちに帰れるなと思ったが、ナディンの荷物はすぐ出てきたのに社長のと私の預け入れ荷物が30分くらい待っても出てこない。こないだのトロント空港でそういう目にあっているので、2回連続かよー...とがっくりしていたら、ナディンが「帰りの便だからまだ問題が少なくて良いね」と慰めてくれた。すると、「サンクト・ペテルスブルグからの荷物を待ってるの?」と聞いてくる人がいて、それだったら11番のベルトから16番に変更になった、というのを教えてくれた。16番に行ったけど出てくる気配がない。また11番で待っていると、こんどは別の人が17番から出てきたと教えてくれた。それで17番に行くと私の荷物が一つだけベルトに乗って回っていた。それでも社長の荷物が出てこないのでしばらく待って、社長は私達に帰りなさいといって一人でルフトハンザのカウンターにいった。けっきょくタクシーで私が家に着いたのが10時。 飛行機の旅がだんだんイヤになってきた。こういう時間がなんだかもったいない。書体デザインの時間にもっと時間を使いたい。来年からちょっとコンファレンスを抑えようかな。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-09-22 15:35
| 書体デザインについての話題
2008年 09月 14日
このブログはだいたい家族の話ですが、ときどき書体デザイン関係のことを書くと、けっこう鋭いコメントが入るようになりました。
そこで「タイプディレクターの眼」 という新しいブログをつくって、書体デザイン関係の話とか使用例とかをまとめるつもりです。書体デザインに興味のある人、のぞいて見てください。 この「ドイツ日記」ブログから、最近の記事のうち「クリングシュポール博物館で講演」と「10月に日本に行って講演」の二つをそちらにも掲載しました。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-09-14 08:35
2008年 09月 14日
9月1日に移転した会社のお披露目パーティが9月12日にすぐ近くのビアガーデンで開かれた。あいにく一日中雨だった。お披露目パーティでは、ヘルマン・ツァップさん夫妻、同じくカリグラファのウエルナー・シュナイダーさんと久しぶりにたっぷり話をした。今週は忙しかった。仕事では大事なお客さんとの会議が立て続けにあったし、それ以外でも新しい動きが一度にいくつもおこりはじめた。
ロシア行きの支度がなかなかできない。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-09-14 08:24
| 書体デザインについての話題
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