カテゴリ
以前の記事
2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 お気に入りブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1 2006年 07月 31日
8月9日からの書体コンファレンス 「タイプコン」 の予定がだんだん決まってきた。今年はボストンで開かれる。私は例の10分間書体審査(自作の書体を持ってきた人に10分間のアドバイスをするコーナー)があるし、11日午後からの Dwiggins 氏のイベントにちょっと関わって20分のミニプレゼンテーションをやります。また今年の SoTA のタイポグラフィ賞(タイポグラフィや書体デザインの分野で長く功績のある人を表彰するもの)がフルティガー氏なので、タイプコンではフルティガー展もあって、そこでも壇上でフルティガー氏との共同作業について話す予定。けっこう忙しい。
今年の春に、SoTAのタイポグラフィ賞を誰に差し上げるかの選考会がメールのやりとりで行われていて、選考委員の一人が私だった。これまではツァップ氏、ベンガット氏、カーター氏が受賞している。当然フルティガー氏が受賞すべきだろうと私が推薦した。他の選考委員からすでに別の候補とその理由が挙がっていたので、私も同様に理由を添えて推薦した。推薦文の終わりに「フルティガー氏とはここ数年仕事の関係でやりとりしてきたが、それと別に考えて、推薦するに充分な功績があると思ったので」とも書いた。そして他の5人の委員をふくめた5月1日の投票でフルティガー氏に決まった。選考委員に公開された全員の投票結果の集計を見ても、フルティガー氏は文句なしに選ばれたことがわかる。 フルティガーさんご本人はタイプコンには来られないので、受賞式は8月末にフルティガーさんの家の近く、スイスのベルンで行い、それにも参加します。こないだフルティガーさんが直接電話してきて「式には絶対来てくれよ」といわれた。嬉しかった。 今年のタイプコンでの10分間書体審査は、いつもの3人(マシュー・カーター、ジョン・ダウナーと私)のうちジョンが今年は水球のトーナメントに参加のためタイプコンに来られず、代わりに若手で実力もある書体デザイナーのサイラス・ハイスミス(Cyrus Highsmith)とトリオを組む。サイラスとは前に何度かあって話もしている。ユーモアもあるし書体のアドバイスに向いていると思う。「サイラス・ハイスミス」って名前の響きが良いねー。正確な仕事をするような感じがする。ボストンに私が行ったら、マシューのよく行く中華料理店で3人で食事しようということになったので、そこで名前がその人に与える影響みたいなことをサイラスに聞こうかな。ちなみに、海外のコンファレンスでの雑談の最中に私の名前「章」は「文章」の「章」だから書体デザイナーにぴったりだと言うとけっこうウケる。 ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-31 21:38
| 書体デザインについての話題
2006年 07月 31日
京平の幼稚園の「Waldwoche(森に行こう週間)」は24日月曜から28日の金曜まで毎日バスで幼稚園から森に行って遊んだそうで、金曜の夕方に家に帰ったら京平が昼寝していた。旅行から月曜の朝4時にもどってきて、それでずっと毎日遠足だったから疲れたんだろう。そのまま京平は翌朝まで眠り続けた。
7月29日の土曜は、日本人学校がない土曜なので遠出してどこかで一泊するかと由美子と言っていたが、それよりドイツにいて京平のランドセルを買うなど用事を先に済ませておこうということになった。前日インターネットで調べて、目当てのランドセルを扱っている店が Dreieich にあるスーパーマーケット Walmart だと分かったのでみんなで行って京平に背負わせてみる。京平が気に入った、車のプリント柄のランドセルの形は2種類あって、重い方は1.5キログラムあるし持ちにくそうので軽い方を選んで、他にもあれこれ買い物を入れてレジの前に並ぶ。ドイツではレジの係員の数が極端に少ないため、レジ前に長い列ができる。レジで待つことのあまり無いフランスやベルギー、スイスのスーパーマーケットがうらやましい。あいにく、その京平が気に入ったランドセルには値札が付いていなかったので、レジの人が値段が分からず係員を呼ぶが数分経っても誰も来ない。レジの人に頼まれ、待っていてもしょうがないので、50メートル離れた売り場に私が同じ型のランドセルで値札の付いているのを取りに行ってやっとバーコードでの入力ができた。ドイツではお客様は神様でないとあらためて感じる。その後フランクフルトでおいしい寿司を食べようとするが目当ての店は夏期休業中、別の日本料理店で食べて駐車場を出ようとしたらゲイの人たちのデモ行進「ラブパレード」がはじまって、大音量の音楽に合わせて明るくハデなその行進に警備の警官が見入っているので、どうやって車道に出るのかちょっと迷った。その後もいろいろ買い物をした。今までスーパーマーケットの Aldi にはバイオ食品を置いていなかったが、トマト缶を買いたすために由美子と一緒にいったらいろいろバイオ食品があって面白かった。豆乳があったので買ってみた。最近は品物のバラエティが増えてきたので、レジで並ぶことや使い走りさせられるのに慣れればドイツでの買い物もまあまあ面白い。 7月30日の日曜は、一時間半のドライブで St Goar の城跡 Burg Rheinfels に行く。最初につくられた部分が西暦 1245 年という中世の城で、要塞としての造りになっていて狭い通路が城の中にたくさんあり、真昼でも暗闇があちこちにある。前もって知っていたので懐中電灯はちゃんと用意していったが、真っ暗な螺旋階段を下りるときに後ろから付いてくる家族の足下に灯りを後ろに向けると、自分の足下も数センチ先も何も見えない。階段の天井は低くて、頭に尖った岩が当たる。日本だと安全対策でそういうところにも灯りがつけられて面白くないんだろうなと思う。厚さ4メートルくらいの城壁には見張り用窓みたいな穴があり、片方は広いが、反対の壁のほうは高さ40センチ、幅25センチくらいの狭さになってしまう。京平がその狭くて細い穴をくぐり抜けるのをやってみたらできたので、面白がって何度もやっていた。周平はあとちょっとでくぐりぬけられなかった。周平と一緒に城の絵を描こうとスケッチブックや絵の具をリュックに入れて持って行ったが、ちょうど城でイベントがあって騒がしかったので探検だけにした。でも探検だけでたっぷり時間を使ったので、スケッチなんかしている時間はなかったかも知れない。帰りにライン川を渡る渡し船フェリーで車ごと向こう岸に渡り、夕方家に戻る。まもなく雷が鳴って夕立になり、いくらか涼しくなった。 ![]() ![]() 私の住んでいる Bad Homburg 市は、普段の夏は日本の高原のような気候なのに、私達のグランカナリアの休暇前からずっと3週間くらい気温35度以上の日が続いていた。今朝のニュースでは今年の7月のドイツの暑さは観測史上最高だったといっていて、例年の平均気温が17度なのに、今年は22度と5度も高くて日照時間も例年の1.5倍で三百何十時間かあったらしい。こっちの一日の最高気温は午後5時頃出る。だからその時間になると、ドイツではオフィスにエアコンがないのが普通なので暑くて会社にいられず、エアコン嫌いの私でも家に帰るとほっとする。普通のドイツの家同様、うちにもエアコンはないけれど、3階建てのアパートの1階で会社よりいくらか涼しい。3階の家に遊びに行ったことがあるけど、大きい屋根に直射日光を受けて熱がこもるのですごく暑い。きょう31日は少し涼しくなった。これで暑さも一段落するそうだ。 ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-31 21:26
2006年 07月 24日
7月16日午後3時にフランクフルトを出発して、同日夕方にグランカナリア島(スペイン領)に着いた。そこでほとんど海とプールでの一週間を過ごして7月24日月曜の早朝に休暇から戻る。23日の夜7時に出発の予定だった帰りの飛行機が4時間遅れたため、朝の4時にフランクフルトに着く。家族全員日焼けしている。
初めていくグランカナリア島は、景色が黄土色だった。乾いていてヨーロッパで見かける樹木らしいものはまったくない。サボテンやそれに近い奇妙な植物ばかり。あとでホテルで調べたら降水量は夏が月間1ミリ、冬が3ミリ程度で、つまり年間を通してほとんど晴天らしい。実際、滞在中の一週間は朝のうち薄曇りの日が一日会った以外は晴天だった。砂浜の砂の色が真っ白でなく黄土色っぽくて、どことなく新潟の砂浜に似ている気がして由美子と「これは船江町海岸かな?」といって笑った。海は風が強く、日中は心地良いが朝方はちょっと肌寒いくらいだった。海には冷たくて入らなかった。 ホテルの近くを散歩していて、近道するため空き地を通り抜けようとしたら妙な植物や虫を見かけた。「うわーなんだこりゃ」とかいっていろんな角度から写真に納めようとして、近道のつもりがせいぜい30メートルの空き地を進むのに20分くらいかかったと思う。植物にはあまり興味がないのに、この変な植物は見ていて飽きなかった。からからでほこりっぽい地面を這うように広がっていて、枯れたような色をしているが、茎と実らしい部分にびっしり水滴がついている。指で触ると水滴がつく。しかも粘りけはほとんどない。これが朝方だったら朝露かなと思うところだが、散歩したのは夕方の6時。この水はどうやって集めるんだろう。実らしい部分は紅色になって、そこにも水滴がついているので、まるでザクロの果肉に日があたっているみたいにルビー色に光る。ちょっと離れたところに同じ植物の白い花が咲いていた。花のさしわたしは5センチくらい。 ![]() ![]() ホテルのビュッフェ形式の食事は後半になって飽きてきたけど、果物が新鮮で美味しかったのでスイカやスモモやキウイなどをたくさん食べた。最後の3日間くらいは、食事の半分は果物にした。とくにバナナはよく熟した感じで、果肉がオレンジ色がかっている。普段ドイツで食べている白っぽくて味のあまりないあれはバナナと呼べないなと思った。子供も普段は朝食をあまり食べないのに、ホテルではサラミやハムなどをのせたフランスパンをひとり5切れくらい食べていた。 一週間のほとんどを海とホテルのプールで過ごす。Maspalomas 海岸で波打ち際によってくるエビを追っかけていてビデオカメラを海水に少しつけてしまい、ビデオが3秒くらい録画するとスタンバイ状態になる。乾かしても直らない。日本の両親に海岸のすぐ後ろの砂丘の様子を見せたいので、苦し紛れに3秒ずつつなげるという方法で360度の景色を撮る。 トランプを持ってくるのを忘れたので、スペインのトランプを買う。店の人に「スペインのだよ」と言われたが、せっかくスペインに来たんだから英国式のを買ってもしょうがない、ドイツのトランプも絵柄の雰囲気が違って面白いからスペインのはどんなだろうと思って「これがいいんだ」といって買った。そうしたら雰囲気どころか絵が全然違う。四種類の札があるというのは同じだが、スペードとかハートとか単純にシンボル化されているのでなく、「棍棒」「剣」「杯(壺?)」「金貨」の絵と数字が書いてある。しかもクイーンにあたる札がないから男ばっかり、英国式より四枚少ないわけだ。 ![]() 私と私の家族は、旅行に行くと必ずすることがある。まず、バスや市電など、その町の公共交通を使って町の中を見る。そしてそこの土地の人が利用する市場やスーパーマーケットでじっくり見て回って買い物をする。タクシーで点から点への移動より町の様子が分かって面白い。ときどき乗り継ぎが悪くてとんでもなく時間がかかったりするけど、それでも面白さのほうが勝つからやめられない。リスボン(2002年)でもサンパウロ(2003年)でもマヨルカ島(2004年)でも、ブリュッセルとアムステルダム(今年)でもそうした。とくにリスボンで狭い家並みの間をぬけて走る市電とマヨルカ島のガタガタ道を猛スピードでとばすバスはまるでテーマパークみたいで忘れられない。一人で乗ったモスクワ(2001年)の地下鉄は、字が読めないから駅名を覚えられないし発音できなくて、だれにきいても英語が通じなくて間違って反対方向の電車に乗ったりしてけっこう緊張したけど、いま思い出すとやっぱり面白かった。 グランカナリア島に来てから四日目の水曜日にMaspalomas 市営のバスに乗って町に出かけた。ホテルのフロントの人もバスを普段利用しないらしく、バス料金などあまりハッキリしたことがわからない。いちかばちかで、バス停で待つのを覚悟で家族全員で行ってみた。時刻表を見て、約30分くらい待ちそうなことがわかったが、10分ほど待ったところで予定外の市営バスが来て、片言のスペイン語できいたら町に行くというので家族全員で乗る。料金は合計3ユーロ15セント。市営バスだが、中でけっこう大きな音でラジオがかかっている。乗ったときにかかっていたのがクイーンで、そのあとがフランク・シナトラという選曲はスゴイと思った。町の中心部に入り、フロントの人にすすめられた Yumbo (ジャンボと読むらしい)ショッピングセンターに行ったけど、私の新しい水着を買っただけで、見て回るうちにいかにも「観光客目当て」っぽいのが鼻についてきたのでそこを出る。前もって見当をつけておいた別のショッピングセンターに向かって歩き出し、町の人に道を尋ねながらたどり着く。トイレに入ったら京平が個室から出られなくなった。日本で昔よく見たかんぬき式の錠が中からかかったらしく、京平にそれを説明しようとしてもドアの外からじゃうまく説明できない。京平は自分で閉めたわけじゃないからどうやっていいか分からなくて半泣きになる。結局ドアの下の30センチくらいのすきまから京平をはい出させた。 カフェで軽くお昼を食べて、目の前で搾るオレンジジュースのおいしさに感激する。スーパーマーケットに入ったら、そこはほとんど地元の人専用みたいで、他の場所では通じるドイツ語は通じなかった。プラスチック製の買い物カゴは持ち手が長く、下に車がついていて店内を引きずるようになっていてラクだった。段ボール箱に入ったサボテンの実を見つけたので売り場の女性店員に片言のスペイン語と身振り手振りで「これは生で食べるのか、甘いのか、それなら三つ買いたい」と言って、最初のひとつを私が無造作に手でつかんだら店員が残りの二つを注意深く二本の指でつまんでポリ袋に入れて重さを量ってくれた。そこでトゲに気を付けなきゃいけないと思ったが、その時すでに指に髪の毛より細いくらいのトゲが刺さっていたらしく、レジで痛みを感じてそれに気づいてトゲを抜いた。 買い物を終えて、そのショッピングセンターはバスが通らないのでタクシーでホテルに帰る。タクシー料金は2ユーロ75セントだった。3ユーロ渡したが、ほぼ同じ距離でバスより安いタクシーというのは初めてだった! 部屋でサボテンの実を切って口に入れてみるとかすかに甘さを感じるが、ほとんど種ばかりで食べるところがなかった。そのあとホテルの近くの娯楽施設で遊んだ。そこで子供二人はエアーホッケーと玉突きをはじめて体験してけっこう興奮していた。 最終日も海へ行き、ゆっくり散歩して昼食を海沿いのレストランで食べる。焼きイカを注文したらすごくおいしかった。由美子が注文したビールは凍ったジョッキに入れられて出てきて、なんか日本にいるみたいだと思う。空港までツアーのバスに乗り、空港に着いたところで帰りの便の出発が4時間遅れになることを聞かされた。空港でゆっくり食事してトランプで遊んで時間をつぶす。午後10時半に搭乗開始になり、遅れのくわしい理由を機内で聞かされる。点検で機器の不調が見つかって2時間半遅れ、フランクフルトの空港が騒音防止条例のため午前1時から4時まで着陸できないから到着時間を午前4時過ぎに変更せざるを得なかった、ということだった。フランクフルト空港からタクシーで家に着いたのがあたりが明るくなり始めた5時で、荷物を解かずに2時間だけ眠った。7時半に起きるため目覚まし時計を久しぶりに使った。京平が幼稚園の遠足に絶対行きたいというので8時少し前に起こして大急ぎで幼稚園に連れて行き、出発の時間8時15分に間に合った。普段は始まりが9時なのに、今週は「森へ行こう」週間だそうで、いつもより集合時間が早いんです。京平が眠たがってやっぱり休むと言うかなと思ったらまったく普通で元気に自転車をこいで私と一緒に幼稚園に行った(由美子によると帰りは疲れてフラフラして何度か転んだらしい)。私は8時20分に出社して、たまっていたメールのやりとりやフォントの修整をしていたら全く眠くならなかった。8月上旬にボストンで開かれる TypeCon 関係のメールが多かった。 由美子が同じアパートのシュナイダーさんや近所の日本人家族にドイツはどうだったか尋ねたら、一週間ずっと暑かったそうだ。昨日のフランクフルトは37度あったらしい。グランカナリア島にいたときにスペインの天気予報の画面を見ると内陸部は40度というのにグランカナリア島は29度くらいだったから、グランカナリア島のほうが涼しい。つまりドイツからグランカナリア島に避暑に行ったかたちになった。 ![]() ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-24 22:28
2006年 07月 15日
7月14日は周平の通うドイツの小学校の3年生の最後の登校日。「終業式」みたいなのはなく、成績表を持ってくるだけ。成績が5段階評価されて、「4年生に進級可」と書いてある。今週はいろいろ動き回った。
まず7月10日の朝9時に由美子と私で小学校に行って担任の先生と40分間くらい面接。先週、周平とクラスの男の子とがケンカになったらしいので、その原因とか周平の学校での態度とかを聞くため。まあ小学校の3年生のケンカだから原因は追及してもしょうがないし、周平にも良くない点があることがわかった。そのあと10時ちょっと前に出社、夕方5時に帰宅してすぐまた現地小学校へ。同級生アレクハンドロがスペインに引っ越すのでクラス全体でお別れパーティをするため。8時ころ家に戻ってから周平とも相談する。 7月11日、デジタル小型カメラを買いに行った。いままで使っていたニコンの小型カメラがすぐ電池切れになるので、夏休みに備えて新しいのを買おうということになった。夕方に図書館によって借りていた本やCDを返して、そのあと眼鏡屋さんに入って由美子のサングラスを修理してもらう。そしてカメラ屋さんに入ってカメラをいろいろ質問しながら選び、使い勝手の良さを比べてやっぱりニコンのを買った。店を出るときに夕立がきて大粒の雨が降り始め、車まで戻る途中走って帰った。この写真は京平が新しいカメラで撮ったもの。最近幼稚園で京平が国旗をたくさん描いてきて、壁に貼ってほしいというので居間の一角が運動会会場みたいになっている。 ![]() 7月13日、私の会社のデスクに PC が入る。同僚から「やっと人間の仲間入りをした」とからかわれる。イギリスの本屋 Barry さんから買った本の勘定が本屋さんの手違いで4年間未払いになっていて、Barry さんから丁寧なお詫びと支払い催促のメールがあった。家に戻って調べてみるとやはり引き落とされていない。4年間に買った本や文字デザイン関係の資料は合計1400ポンド弱、約20万円くらいかな。一回で全部払いたい。こちらもちゃんとチェックしていなかったのがいけない。 7月14日、フルティガーさんからいろんな用件の電話あり。今制作中の新書体の名前がなかなか決まらないのもそのうちのひとつ。朝のうちにいろいろメールをしてから休みに入りたいけれど、メールのシステムがおかしくなって IT 部門の Michael を呼び、ほぼ2時間かけてなおしてもらう。昼前にやっとメールができるようになり、本の支払いをカードで一括払いにしたいというメールを出したら Barry さんから電話があって、カード会社が受け付けないという。ドイツのカード会社に私が電話したらやっとうまくいった。不正使用防止のためにいろいろ手間がかかるらしい。Barry さんのところには由美子と一緒に泊めてもらってあちこち連れて行ってもらったことがあるが、長いこと会っていないので、近いうちに行きたいと思う。会社の仕事と別に週末や夜遅くに進めていた Clifford OpenType 用データも木曜の晩に完成したので FontShop にメールで送った。会社の仕事では突然入ってきた急ぎの作業が多くて、久しぶりに目の回るような忙しさだった。そんな中でも、社員の Jens が次女誕生パーティを3時から社内でやるので顔を出す。雑談したり乳母車で寝ている赤ちゃんの顔を見たりしてたっぷり一時間そこで使う。 夕方6時にスッキリ片づいて、これで一週間の休暇だ! 16日から23日までカナリア諸島に行ってきます。つぎの更新は24日以降になります。 ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-15 17:26
2006年 07月 09日
最近、日曜日には家族全員で自転車にのって午後いっぱい野原のサイクリングコースを走っている。周平の自転車は今年3月の誕生日の前日に買った新品、京平のは日本に帰る家族から新品同然で譲り受けたもの、由美子の自転車は日本から持ってきたもの。私のは Karlgeorg Hoefer (カリグラファー・書体デザイナー)の形見の自転車で、中古で譲り受けてから5年も乗っているからあちこちガタがきている。
2週間前の日曜はやたらに暑く、自転車で麦畑をぐるっとまわって夕方家に戻った。しばらくしてから雷が鳴って嵐になり、大粒のヒョウも落ちてきた。この日の嵐でけが人が出たというニュースを日本でやったらしく、新潟の両親が電話で心配していた。先週はやはり晴天で暑く、電車の駅3つ分離れた Bonames Mitte まで黄金色になり始めた麦畑のなかを行ってきた。昨日の土曜日も京平が自転車に乗りたがるので、近所のスーパーマーケットまでわざわざ用事を作って京平と私で買い出しに行った。Einkaufszettel (買い物メモ)を京平に書かせようとしたが、まだ日本語もドイツ語も自分の名前以外は字が書けないので、絵で描いた買い物メモになったのが面白くて写真を撮った。絵の内容はソーセージ2パック、牛乳、桃、チーズ、タマネギ、ワケギ、ヨーグルト、掃除用手袋、油。Speck(ベーコン)は絵で描けないといって困っていたので字を書かせた。 ![]() 森をぬけて公園の遊び場に出た。子供が遊びたいというのでそこに入る。たまたま会った二組の日本人家族と雑談した。家の近くまでもどって夕方になったのでどこかで食事しようということになった。先週も自転車ツアーのあとで、よく行くレストラン「Gasthof zum Taunus」に寄って夕食を食べたが、その時は注文してから食事が出てくるまで1時間以上待った。コックのおじさんが好きだし料理は良いんだけど、そこは待つことがしょっちゅうあるから疲れている時やお腹がぺこぺこの時はやめようということにして、きょうはレストラン「Pinocchios Wintergarten」で食事して帰る。サービスも良いし早く出てくるしおいしいし安いし大満足だった。 ![]() ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-09 22:57
2006年 07月 09日
7月4日は私の46歳の誕生日で、由美子が家でシフォンケーキを作って待っていてくれた。暑い日が続いたのでドイツ式の重いケーキじゃないやつがいいといってリクエストしたもの。ふわっと軽くておいしかった。
7月5日、フランクフルトのとなりにあるマインツ市のデザイン専門学校に講評に行った。そこで書体デザインを授業にとりこんでいる Bergerhausen 教授に招待されてそれを受けたもので、その日はそのコースの学生28人の成果発表プレゼンテーションをするから学生の書体デザインについて講評をしてほしいということだった。うちの社長も同行するということで、私の家の前で待ち合わせた。約束の時間9時ぴったりに来た社長の車に乗り、雑談をしながら行く。前日の準々決勝まではドイツの旗を立てて走っている車がやたらに多かったのに、ドイツがイタリアに負けたから今朝はほとんどいない、といって笑った。マインツには10時15分前についた。教室に入ったらすでに学生は集まっていた。朝から暑く、10時の時点ですでに室内は30度は超えていたと思う。Bergerhausen 教授、Voelker 教授と挨拶をした。書体デザイン実習の内容は、本文用のサンセリフ体を3ヶ月かけてつくるというもので、手本にする書体三書体を各自が選び、その特徴をまず分析してからオリジナルの書体デザインに入るというやりかただそうだ。3ヶ月という短い期間なので、書体デザインの完成度に重点を置いているのではなく、書体デザインに隠されている工夫などいろいろなものを学びとらせるのがねらいだ。 予定通り10時にプレゼンテーションが始まる。人数が多いので、数人のグループ単位での発表だった。もちろんそのなかでひとりひとりが自分の書体について発表する。ひとりの持ち時間は5分くらいと短い。グループごとに講評を私と社長がする。本文用の書体というのが目標だから、私は「ひとつひとつの文字の形の完成度よりも文章を組んだときの単語の形を大切に」とか「いわゆる『グッド・アイデア』を捨てていくことが大切」など本文用タイプデザインの根本的な考えを話した。学生の書体のなかに、すごく良い例があった。ひとつひとつの字形の完成度は良くないのに、本文組の文章は割と読みやすく仕上がっていたので、その点をほめて、字間の調整がうまいからだと言った。その書体をつくった学生は、最初のスケッチをコンパスと定規だけで描いていたのにそれがうまく機能しないことに気づき、だんだん普通の字形に近づいていった経緯も紹介していた。それも良いと思う。書体をつくる途中でいろいろ得たはずだ。 手本にする三書体もわりとみんな似通っていて、硬めのサンセリフ ITC Conduit や FF Meta などを手本に選ぶ学生が多いのが面白かった。今の若者の好みを反映している気がする。 2時間のプレゼンテーションが終わり、教授といっしょに近くのイタリアン・レストランのテラスで食事をする。気温は35度くらいあったと思う。そこでもいろいろ雑談したので社長と一緒に会社に行ったのは3時半を過ぎていた。ちなみにそのレストランは、2000年にライノタイプ書体コンテストの授賞式が終わったあとで受賞者全員が食事に招待されたところでもある。その時は受賞者の一人として来た。6年後にライノタイプのディレクターとして専門学校で講評したあとで同じレストランにくるとは思わなかった。 ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-09 21:55
| 書体デザインについての話題
2006年 07月 02日
会社での仕事のことを最近書いていなかったので、忘れないうちにまとめて書いておく。
フルティガー氏の新しいサンセリフ体は順調に進んでいる。今年2月からほぼ2週間おきくらいに手紙をやりとりして、いよいよ完成に近づいてきた。最初にフルティガー氏が描いて送ってくれたスケッチの中には少し今回の路線とは合わないのが時々ある。それについてはとりあえず文字をその通りに作ってみてから、試作の印字見本を作るときに「私ならこうします」とデザインの変更をしたものも添えるというやりかたで、最終的にはフルティガー氏に選んでもらうようにしている。そうするとフルティガー氏は私のデザインを選んで、それについてすごくほめてくれる。なんだか頼りにされている感じで嬉しくなる。フルティガー氏の手紙はいつも手書きで、くせのある字なので最初はまったく読めなかったが、今はもう普通に読むことができる。仕事の進み具合が分かるように大事にファイルしている。 同時に進んでいるイギリス人カリグラファとの書体デザインも少しずつではあるが進んでいる。不足している文字のデザインを送ってもらったのが26日に届いた。 22日に書体選定会議があり、外部デザイナーから応募された約15点くらいを見る。すごく良いのが1つあった。私も、5月末に提案して通っているローマン体を選定会議のメンバーに見せて意見を聞いた上で、自分の新しいスクリプト体を一つ提案した。そのスクリプト体は6月はじめに思いついたもので、スケッチから大文字小文字を揃えるまで10時間くらいでわっとつくったもの。一部のエレメントの形がその新しいローマン体に近いので、スクリプト体も同じラインナップにしようかという提案をしたら、メンバーも面白いと言ってくれていろいろなバリエーションの提案も出てきた。残念ながら、それから先は発売済みのフォントの修整の仕事に追われて試作が進んでいない。 ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-02 00:25
| 書体デザインについての話題
2006年 07月 01日
いま5歳の京平が今年の秋に小学校に進学することが決まったので、6月28日10時からの「学校体験会(Kennenlernenentag)」に由美子が連れて行った。名札をつけるときに、周平の時は「ズューハイ」と呼ばれないように「SCHUHEI」と書いたが、それでも「シューハイ」と呼ばれる。「KYOHEI」もドイツ人には発音しにくいみたいなので、届け出通りに「KYOHEI」と書いてから下に小さく「KIO-HÄI と発音する」と書き添えた。先々週図書館でたまたま借りた子供用のドイツ語教育CDテキスト(私が会社で仕事をしながら聞いている)に日本人の女の子の名前「ヨシコ」が「JOSCHKO」と書いてあって、CDでは確かにヨシコと言っているから考え方を全くあらためないといけないかなと思うようになった。日本の教え方のローマ字の通りに綴ってそのまま発音してくれればいいけど、そうはいかないので。
学校体験会では、同じ幼稚園からの子供はたった4人だったが、大の仲良しパトリックと行くことができるので京平も喜んでいるし、外国人児童向けのドイツ語講座が小学校で開かれていて京平が週3回熱心に参加していたので、すでに先生に慣れているし小学校の先生も「キョーヘイ」と笑顔で声をかけてくれたらしい。恥ずかしがり屋の京平も2時間の体験教室を難なくこなしたそうだ。体験会の子供の中には、初めて小学校に行ったせいか、わりと大きいのに泣き出す子供もいたと由美子が言っていた。 6月30日金曜日、近所のKさんのうちにおじゃまして、やはり現地の小学校(うちの子供と違学校)に通っているトモくんととうちの子供2人を遊ばせる。私も4時半頃行ってケーキをいただいた。トモくんがドイツ語がうまいので、子供3人で遊んでいるとお互いしゃべる言葉は全部ドイツ語になっている。ちょっと前まで京平はその中に入りにくかったが、いまは普通に3人で遊べるようになった。ちょっと京平が成長したかも知れない。少し前まで、京平は日曜日になると「(現地の)幼稚園は今日は何で休みなの?クリスティーネの幼稚園に行きたい」と泣きべそをかいていたくらいなので、こりゃ小学校に上げるタイミングを考えなきゃと思っていたが、こないだ初めて「幼稚園がつまらない」というようなことを言ったのを聞いたし、遊び方も変わってきたような気がする。 その日、Kさんのうちに子供を預けて、町に由美子と車で出かけて夏休みの旅行を予約してきた。今頃夏の旅行を探すのは遅すぎるのでなかなか良いのがない。知り合いのドイツ人の旦那さんはすでに来年春の旅行を申し込んだそうだ。 申し込みに行ったのが30日の夕方6時前、ちょうどドイツ対アルゼンチンのサッカーの試合の真っ最中で、町のロータリー Europa-Kreisel は通る車が一台もいなかった。旅行代理店で探してもらって、スペインのグランカナリア島に一週間滞在の予約をして帰ってくるときもやっぱりロータリーには車がいない。いつもは、つねにロータリーに入る車が数台待っていてタイミングを見計らって入るという感じなのが、何も気にしないで通ることができる。こんなことは今までなかった気がする。Kさんのうちに戻って、旦那さんと一緒にテレビで延長戦とPK戦を観る。冷静なドイツ人は負けると思っていたくらいの試合なので、ドイツが勝った後で、由美子は車、私と子供二人はそれぞれの自転車で家に帰る途中、大喜びで町中に繰り出そうとする車がクラクションを鳴らして数台通りすぎていった。家の前の通りを、クラクションを鳴らして車から乗り出してドイツの旗を振って走るというのがひっきりなしに通る。その後2時間くらいは続いた。ドイツのこのサッカーの盛り上がりはものすごく、普段は愛国心を丸出しにしないドイツ人がこれだけ旗を買って振っているのは珍しいことだそうだ。パトカーの窓からドイツの旗が突き出ているのもよく見かける。 ▲
by akobayashi_dnikki
| 2006-07-01 23:18
1 |
ファン申請 |
||