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2008年 02月 24日
21日の木曜は、周平のかようギムナジウムに行って担任の Brauneiser 先生と定期的な個人面談の一回目。昼の休み時間を多めにもらって、由美子の運転で13時45分にギムナジウムへ。面談を特に問題なく済ませてまた仕事に戻る。
翌22日、京平のかよう現地小学校での担任の Elschner 先生との面談を、本当は15日だったのを仕事の都合で22日に変更してもらっていたけれど、その日の朝担任の先生から電話がかかってきて、病気で学校を休むということだったのでまた翌週に延びた。 その日、周平はギムナジウムの友だち Pascal の誕生パーティに呼ばれて泊まりの支度をしていった。周平のいない夕方、京平が人から借りたポケモンの DVD を見ようとしてなぜか途中で何度も止まってしまうので、あきらめさせて昔のビデオを引っ張り出していっしょに見ることにした。2002年の夏の終わりに撮ったもので、ドイツに移り住んで五ヶ月くらいのころ、やっと車を同僚から中古で買って手に入れたばかりで、それが写っていた。周平はよくしゃべるが2歳になったばかりの京平がまだ言葉が「ママ」くらいしか話せない。そのビデオを京平と大笑いしながら見ていると、途中から由美子もきて見始めた。京平が二段ベットのハシゴをのぼりながら楽しそうに「ウッピー、ウッピー」というのは何かと思ってきくと、由美子は覚えていて説明してくれた。その当時の我が家のテーマ曲がドリス・デイの「ケセラセラ」だった。ドイツに来て周りのようすもよく分からず、ドイツ語もろくに話せなかったが、どうにかなるだろう ... というので、私がずっと前に買って持っていたドリス・デイのベストCDをしょっちゅうかけていたんだそうだ。京平の「ウッピー」は「Que sera sera, whatever will be, will be」の部分を歌っているということだった。由美子がドイツに来てしばらくは日本の歌をかけなかったのは、日本が恋しくならないようにそうしたと言っている。 周平はお泊まりの翌日の23日土曜日、約束通り午前10時きっかりに友だちの親が車で送ってくれた。どうだった?と話を聞いたら夜中の3時までみんなでゲームをやっていたと嬉しそうに言っていた。いつもの土曜日の日本人学校は予定通り行って、夕方家に戻ってから宿題をやろうとした周平が勉強机で居眠りをはじめたので、急いで夕食にして夜8時半に寝かせる。周平はもうじき11歳だけれど、まだ夜更かしが楽しくなるまでにはなっていない。 24日の日曜日は、いつも通り新潟の実家に電話したら新潟は吹雪だそうだ。家の前の公園が吹雪で見えないと言っていた。こちらは春のような陽気で、天気予報ではフランクフルトは17度ということだったがうちの近所は15度くらいだったと思う。由美子は花粉症が出始めたので、私と子供二人で自転車で出かけて遊んできた。線路脇の歩道を通ったら、薄紫色のクロッカスの花が咲いていた。
by akobayashi_dnikki
| 2008-02-24 21:52
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