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2006年 10月 30日
10月16日(月)ANA210便で日本に到着。出発が遅れたため約一時間遅れでの到着となった。荷物が出てくるのを待つこと約30分、京成スカイライナーと新幹線に乗って予定よりだいぶ遅れて夜の9時10分に新潟駅についた。実家についたのは9時半、次男の京平が風呂で泡だらけのまま湯船に入ろうとするのであわててとめた。新潟では17日に両親と日航ホテルに中国料理を食べに行く。よく晴れて気温は24度、暑いくらいの陽気だった。19日に人間ドックにも入った。どこも悪くないと思うけど、念のため。8時20分きっかりにはじまって人間ドックが終わったのは11時すぎ。検査結果は良好で、一度家に戻って、初めて床屋というものにいってきたばかりの子供ふたりを連れて近くにできたフレスポというショッピングセンターに行った。そうしたらその間に病院から実家に電話があって血液検査で異常な数値が出たらしく、20日に再検査に行く。由美子が心配してついてくるが、説明を聞いたら大したこと無いけど念のための検査みたいなニュアンスだった。結局それも詳しい結果は数日かかるという。午後になって、ひとりで会津八一(あいづ・やいち)記念館に行って「会津八一と奈良」展をじっくり鑑賞する。揮毫した原稿を歌碑にする際に彫刻師がそのまま彫ってくれずに字間や行間を勝手に変えられてしまうことがあったらしく、八一が書の所々に青のゴム印で注意の言葉を入れていたのが面白かった。文字をどう並べるのかだって確かに書の大事な構成要素なので、勝手に変えちゃいけない。新潟での最後の晩に近所の銭湯、小松湯にみんなで行く。
10月21日、朝8時59分発の新幹線で東京に行き、周平の幼稚園の仲良しがいる落合に行く。その仲良しの子が参加する音楽会の開会に間に合うように急いでまず赤坂の全日空ホテルに荷物を預け、地下鉄に乗って落合へ。乗り継ぎが悪くて時間ギリギリに到着したので、昼食はとれないまま音楽会を聴きに会場へ。その後公園で子供達を遊ばせながらコンビニのサンドイッチを食べる。まだ暑くて、綿のジャンパーがじゃまになる陽気で、公園では蚊に刺された。私はそこでいったん家族と別れて目白の洋服屋にあつらえてもらっていた上着を取りにいって、池袋で再び家族と合流して夕食を O さん一家と食べる。O さん一家の二人の子供が相変わらずやんちゃで、大笑いしながら食べてしゃべって面白かった。その晩は赤坂の全日空ホテルに一泊。夜景がすごくきれいで、子供達は大喜びだった。 ![]() 10月22日の日曜は良い天気で、前の晩にはよく見えなかった国会議事堂がホテルの窓からはっきり見えた。弟の尚の一家とお昼をいっしょに食べる。今回は尚の住む千葉に行く時間がとれず、尚達に来てもらった。長男の優介が来年高校卒業で、就職の内定をもらっている。前にドイツから電話したとき、優介は会社の寮に入るから家を出ることになると聞いたら、やさしい優介のことを慕っている京平が「がーん」といってしばらく床に倒れていた。来年の3月にドイツに遊びに来いよと誘った。その晩は由美子は子供達といっしょに横浜のお姉さんの家に一泊、私はセミナーの準備があるので、別行動で半蔵門のホテルに一泊した。夕食を買いに外に出たら国立劇場がわりと近くにあることに気づいて落語を聴きたくなったが、天気も崩れそうだしあきらめてホテルの部屋で食べながらセミナーの画像の総仕上げと24日の真如苑のプレゼンテーションの準備にあてた。けっきょく10時半ころまでかかってしまった。外を見たら土砂降りになっていた。 23日、セミナーの当日は朝からあいにくの雨だった。昼前に嘉瑞工房におじゃまして雑談して、お昼もごちそうになる。久しぶりに重蔵先生や立野さんともたっぷり話ができた。セミナーでは、ねらい通りの良い雰囲気でまとめることができて良かったと思う。TDC の照沼さんが、最初にセミナーの方針をピシッと言ってよけいな前置き無しにすぐ本題に入ったという進行も良かったし、葛西薫さんとの対談でもサントリーの新ロゴづくりの話を気楽な感じでできた。プログラム最後の、中島さんと祖父江さんとを交えてのフリートークでは、照沼さんの提案で事前の打ち合わせ全く無しでいきましょうということだったのでどうなるか少し不安だったが、中島さんも祖父江さんも売れっ子デザイナーなのに低姿勢で、祖父江さんの質問が「初歩的な質問ですが」と言いながら入ったのが良かった。知らないことを知らないと人前で言うのは勇気の要ることだと思う。会場の雰囲気がなごむような話し方をされたので会場からの質問もうまく引き出すことができた。予定の7時半になってセミナーは終わったが、その後もいろんな質問を個人的にしてくる人やサインをして欲しい人が行列をつくった。「ブログ見てます」という人が数人いた。質問では、ライニング数字の間にダーシを入れるとダーシが下がって見えるので上げても良いか、というのが特に印象に残った。すごく良い質問です。尋ねた人は良い眼をしていると思うんです。「そうした方が見え方が良くなると思うなら、それを信じて、どんどんやってください」と答えた。実際に、それは『欧文書体』で書こうかなーと思っていたんだけど、細かすぎるので削った部分です。 書体のことを変に「勉強」しちゃうと、日本では「これをやってはイケナイ」みたいな変な噂や迷信の類に引っかかっちゃうことが多いらしく、みんなビクビクしながら書体を選んでいるし、自信なさそうに使っているような気がする。それをもっと楽しんで、自分の感性を信じて、フォントの面白さを味わってほしい。それがこのセミナーで言いたかったこと。「○○書体の暗い過去」みたいな恐い部分なんて、そんなものは無いんですよ。 10月24日は、雨が降って風が強い。マシュー・カーター氏と私とで提案した真如苑の制定書体について、使い方の簡単な説明をしてほしいといわれていたので、高岡昌生さんといっしょに立川にある真如苑応現院に行く。駅からはタクシーで行ったが、立川の駅から応現院行きのバスが出ていると知って驚き、応現院に行ってその広さに驚き、建物の中に入るときは必ず靴を脱ぐのに驚き、建物の床は玄関も会議室もエレベーターの中もどこもふかふかの絨毯で、しかもちりひとつ落ちていないのにもびっくりした。後で分かったが、床の絨毯は信者の人が座るためらしい。真如苑の教えのことはよく知らないが、なんだか日本の中に別の世界があるようだった。それが終わって、立川駅で昌生さんに教えてもらって Suica というプリペイドカードを買った。その晩泊めてもらう由美子の実家の川越に行くのに本当ならば立川からまっすぐ行くほうが近いのだろうが、会社の同僚から買い物を頼まれていたので、効率は悪いが一つでも予定を済ませておこうと田原町まで行く。その買い物というのはひげを剃るカミソリで、それを私に買ってきて欲しいと頼んだ刃物コレクターの同僚 Kosmas は「刃物は日本の関のものに限る」と言う。「ドイツにはゾーリンゲンがあるじゃないか」と私が言うと、「あんなもの使えるか」なんて言っている。フェザー剃刀に電話して尋ねたらそのカミソリを小売りしている店が東京では田原町にしかないというのでしょうがない。雨風の強い中を夏物のスーツで歩き回って寒かった。先週の新潟は24度くらいあったのに、この日だけは最高気温が15度くらいしかなく、中央線に乗っている間ずっとすきま風が気になった。地下鉄に乗ったら少し暖かいのでほっとした。けっきょく田原町で夕方になってしまったので、新宿の職安に寄る用事もあったが、それはできずに西武線で川越に向かった。 10月26日、西武線本川越を朝8時に出て、9時少し前に新宿に着き、職安に寄る。失業手当を受けていたときの記録をドイツの方に出さなくてはならないため。記録の詳細はすぐ見つからなかったが、後でドイツに送ってもらえるということで安心した。宿泊先の渋谷のホテルに荷物を預け、午後2時からの TDC の書体デザイン部門の審査まで約3時間あったので目の保養のため日本民芸館へ。そこでフルティガー氏とツァップ氏にお土産を買う。五反田の日本デザインセンターの前の横断歩道で信号待ちをしていたら、同じく審査員の片塩さんが通りかかったので声をかけ、雑談しながら日本デザインセンターに入る。審査ではフォントの品質について小宮山さんや片塩さんと良い意見交換ができたと思う。夕方は石神井の書体メーカー「タイププロジェクト」を訪ねて、そのあといっしょに焼き鳥を食べる。 10月27日、朝9時から『デザインの現場』の編集の方と新連載の方針について打ち合わせ。ホテルにはロビーが無かったので近所のカフェに行った。そこのカフェに海外からの審査員 Stefan Sagmeister と John Warwicker がいて、一緒に山手線に乗って会場に向かう。TDC の審査を終えて、真如苑プロジェクトのまとめ役の迫村さんと夕食をとってから10時すぎにホテルに戻る。部屋に入って、何気なくテレビをつけたら、画像が出る前に「楽しいですねぇー」という声が聞こえて、それが祖父江さんの声だとすぐにわかって驚いた。NHK の総合テレビのニュースとか天気予報でも見るつもりが、1チャンネルを押した後にリモコンの操作を間違えて教育テレビのチャンネルに変えてしまい、そこでたまたま「美の壺 File26」という番組をやっていて、祖父江さんは『坊っちゃん』の本のコレクションについて語っていたのだった。偶然にしても面白いなぁ。翌10月28日も朝から審査。荷物をまとめてホテルをチェックアウトしてから9時半ころ会場に入る。この写真は審査の合間に応募作品を取り替えるボランティアの学生さん達で、進行をスムーズにするため懸命に働いている姿が印象的でした。 ![]() 審査会場では、浅葉克己さんが私のことを積極的に紹介してくださったし、有名なグラフィックデザイナーの方々といろんな話ができた。変にギスギスした緊張感みたいなのがあるんじゃないかと心配していたが、そんなものは全くなかった。意見や質問を気楽に言える、意見交換がフェアにできるという点は海外の審査とまったく変わりなかった。審査が終わって、お疲れ様会の途中で私が成田に向かうため退席するときも照沼さんが私のお別れの挨拶の時間をとってくれて有り難かった。そこでも祖父江さんに欧文のコロンについての説明を求められて、すごいパワーだなと思った。お別れの挨拶をして審査員やボランティアの皆さんの笑顔を目に焼き付けてから成田に向かった。会場を出たのは8時ちょっと前で、全日空ホテルに入ったのは10時半。やっぱり成田は遠い。先にチェックインしていた由美子といっしょに、最後の数日間何があったかお互いに話しながら最後の荷造り。川越では京平が夜中に咳き込んで由美子の実家の両親はそれが心配で眠れなかったらしく、それを由美子がすまながっていた。親孝行で子供の顔を見せたいとは思うが、両親も歳をとってくるとそれで疲れさせてしまう。いつも日本に帰るとそういう心配はつきまとう。私は、悔いが残るものがあるとすれば今回も落語を聴きに行くことができなかったこと。 今回の旅行をひとことで言うと、「楽しいですねぇー」だった。今回の日本でのセミナーで私が言いたかったのも「フォントって楽しいですねぇー」だったし、審査会の感想もまったく「楽しいですねぇー」だった。
by akobayashi_dnikki
| 2006-10-30 09:42
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