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2006年 08月 15日
8月10日から14日まで、アメリカのボストンで開かれた書体デザインのコンファレンス TypeCon に参加してきた。
10日の朝9時55分までにチェックインとなっていて、タクシーで9時過ぎに空港に着いた。空港はけっこう混み合っていてアメリカ行きのゲートはセキュリティが厳しい。私もスーツケースを開けさせられて、荷物の靴袋に入れていた靴の中まで調べられた。 ボストンには予定通り10日の昼12時30分に着いた。同僚の営業部のナディーンがレバノン人なので、彼女は空港を出るまでセキュリティをさらに2回通らなくてはいけなかった。私はその間30分くらい待つ。コンファレンス会場に着いてからニューヨーク TDC 会長のキャロルさんにテロ集団の家宅捜査の話を聞いて、空港が警戒厳重だったのはそういうことかと思った。 ナディーンと町を散歩してホテルに戻り、夕方2時間ほど寝てからオープニングパーティに参加、そこで日本からの参加者の橋本さんに合う。以前私宛にスクリプト体のデザインを送ってきて私が助言を書いて送り返していたが、それを手直しして持ってきていた。パーティ会場のラウンジが冷房が効きすぎで寒くなったので、私のホテルの部屋にいってゆっくり話をした。いつも思うが、アメリカのコンファレンスは、いつもそうだけど冷房が効きすぎてセーターとコートを持っていってちょうど良いくらい。いつもは講演の合間に時々外を歩いて身体を温めるが、今回はけっこう忙しくて朝以外はそういう時間がとれなかった。毎日出番があったため。 ![]() まず11日午後のドゥイギンズ(William A Dwiggins)没後50周年記念イベントでは私の最近のプロジェクトである Metro (ドゥイギンズのサンセリフ体)の改刻についてプレゼンテーションをして、12日のフルティガー氏との仕事についてプレゼンテーション、最終日の昼にはマシュー・カーター、サイラス・ハイスミスとトリオを組んでの「10分間書体審査」で1時間半で9人のデザインを見てアドバイスした。コンファレンス最終日はちょっと疲れたし町も見たいので、夕方のパーティは行かないことにして、一人でボストンの町をゆっくり歩いてぐるっとまわり、買い物も少しできた。ナディーンから聞いてはじめて知った手の消毒用ジェル「Sanitizer」も便利なので、ドイツでは手に入らないから買った。ドライブなどで子供が手を洗えないときなどに使える。ボストン名物ロブスターは2日目と3日目に食べた。おみやげ屋さんではロブスターのぬいぐるみがあるくらいボストン名物らしい。ぬいぐるみは買わなかったけど。 書体デザイナーのドゥイギンズはマリオネット制作者としても歴史に残る人らしく、ポール・ショーの話だったと思うが、知り合いにマリオネットに詳しい人がいて、その人はドゥイギンズは書体デザイナーでもあったことを全く知らないがマリオネット制作者として知っていたということだった。そんなにすごい人だったのかと思う。私は書体デザインの他に何にも知らないなあ。 コンファレンス会場ではカリグラファのカレンさんとロビーで長い間寄席文字について話したり、たまたま隣にいたロジャー・ブラック氏に話しかけられたりした。ロジャー・ブラック氏は多忙なんだろうなという想像はつくが、それでも必ず会場にいる。まめにセミナーに出て良い書体を見よう、アンテナを張ろうという姿勢が見える。あまり良くない書体デザインの発表を見ている最中に、彼が私に携帯電話を手渡した。そのスクリーンには辛辣な批判の言葉がタイプされてあった。ロジャーはニヤリと笑って、私もそのデザインの甘さがわかるので笑顔でうなずいた。その後で、やはり書体デザインは恐いな、自分も気をつけなきゃと気をひきしめた。ロジャーは私の Metro の改刻をどう思っただろうかと心配にもなった。まあそれは私のプレゼンテーションの後だったから、私はロジャーの眼鏡にかなったということか。ロジャー・ブラック氏に最初に会ったのは日本で、もう15年くらい前になると思うが、その時彼は「近いうちに、デザイナーでなくとも誰もが『自分の気に入った書体』というのを持つようになるよ」と言っていた。それがもうほとんどそうなっていると言って喜んでいた。 「10分間書体審査」の審査員であるマシューと連れのアーリーンとサイラスといっしょに金曜に中華料理を食べに行く。注文したソフトシェル・クラブ(甲の柔らかい蟹)がたまたま品切れで残念。別の蟹の揚げた料理を食べた。「サイラス・ハイスミス」という響きは良いね、と名前の話を聞いたら、サイラスは人に自分の名前のスペルを伝えるのに苦労すると言っていた。「サイラス」が珍しいのでそれは分かるが、「ハイスミス」のほうもなかなか伝わらないらしい。特に英語が母国語である人には分かりにくいらしい。 HIGH も SMITH もありふれた単語なのに、「ハイスミス」となると分からないそうだ。マシューはフルティガー氏との思い出話をいろいろしてくれた。 帰りの日はモノタイプ・イメージングの本社に招かれて、アラン・ヘイリー氏がホテルまで迎えに来てくれて彼の車コルベットで会社まで行き、午前中会社見学をして空港まで連れて行ってもらった。 行きの車の中で、アランに「実は私達は1986年頃日本で会っているんだよ」という話をした。当時 ITC の社長だったアランが書体のセミナーをして、そこに行った私はセミナーが終わった後のアランを追いかけて「ITC にはデザイン部があるんですか」と聞いた。返事は残念ながらノーだったけど、その時実は ITC に雇ってもらおうと思っていたんだ、と言った。でもライノタイプがモノタイプ・イメージングの子会社になって一緒に働くことになったね、世界は狭いね、と笑った。 10日のテロ未遂事件の翌日から新しい規則ができて。機内には液体類は歯磨きだろうがコンタクトレンズの洗浄液だろうが一切持ち込み禁止、ということになった。新聞では混雑する空港の写真が掲載されているので、ボストンのローガン空港はどんなに大混雑だろうと心配して早めに行ったが、たいしたことはなかった。マックを持っていったので、ビジネスクラス客用のラウンジと帰りの機内でデザイン雑誌の原稿をほぼ仕上げた。
by akobayashi_dnikki
| 2006-08-15 16:18
| 書体デザインについての話題
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