小林章のドイツ日記
2009-01-02T05:49:14+09:00
akobayashi_dnikki
ドイツでの生活と書体設計の記録
Excite Blog
「小林章のドイツ日記」2冊目に
http://doitunikki.exblog.jp/10040006/
2009-01-01T18:29:00+09:00
2009-01-02T04:17:30+09:00
2009-01-02T02:35:02+09:00
akobayashi_dnikki
未分類
「小林章のドイツ日記2」は こちら へどうぞ。]]>
2009年の元日 打ち上げ花火
http://doitunikki.exblog.jp/10039988/
2009-01-01T18:24:00+09:00
2009-01-02T05:49:14+09:00
2009-01-02T02:28:58+09:00
akobayashi_dnikki
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閑静な住宅街ですが、ほとんどすべての家で打ち上げるのでこんなふうです。小さく見えてるのも全部花火です。遠いのでわかりづらいけど。そういえば、去年もこの年越しの花火を見ようとしたけど、そのときは霧が濃くてほとんど見られなかった。今年は快晴で遠くの方までよく見えた。 こんなにまでして花火をこぞって上げるのは、大きな音を出して悪霊を追い払うためだとか。うちでは花火はしませんが、この様子を見たくて家族みんなで起きていました。待っている途中11時半ころ寝てしまった京平も起こしたら喜んでみていた。
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「生きてて良かった」
http://doitunikki.exblog.jp/10023960/
2008-12-30T20:56:00+09:00
2008-12-31T05:32:46+09:00
2008-12-31T05:05:32+09:00
akobayashi_dnikki
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ドレスデン旅行から帰ってきた翌日の26日、友達のヨアヒムさん(デザイナーでサンフランシスコ在住)が帰省中で実家のフライブルクから電話をかけてきて、27日に遊びに来るという。前々からだいたいその日か29日といっていたので特に慌てないが、子供たちの部屋と夫婦の寝室との入れ替えを11月からやっていて、部屋の模様替えが途中までしかできていなかったので、26日と27日の午前中で全部それをやり終えてヨアヒムさんを迎える、とすることにした。すでに11月に子供の二段ベットは下におろしてきて私の本棚は上に移しておいたから、今回は、洋服ダンスと夫婦のベットをばらして上の部屋に運んで完了。周平が重いものを持ってくれるのでだいぶ助かった。終わったのが27日の昼で、ヨアヒムさんが3時ころ到着の予定なので、まず郵便局に年賀状を出しにいく。郵便局の窓口が8つくらいあるのに3人しか働いていないため約20分ならぶ。そのあと買い物に行って、日本料理が大好きなヨアヒムさんが泊まるので夕食は鍋にしようと材料を買い込んで家に戻った。
お昼を食べたあと、食卓で私は由美子とお茶を飲んでゆっくりしていた。ヨアヒムさんが来るのがよほどうれしいのか、パワーが余っているのか、京平がふざけて走ってきて居間の床をツツーッと滑って遊ぼうとしたのが目のはじっこで見えた。滑ったときにバランスを崩した京平が派手に転んで、その拍子にテレビの台の角に思いっきり頭をぶつけた! ぶつけたところは見ていなかったが音で分かる。京平は四つん這いで大声で泣きだす。駆け寄ってみると血がぼたぼた落ちてくる。すぐにペーパータオルを何枚か持ってきて頭を押さえたがすぐ血で真っ赤になった。
土曜日なので、救急病院へ車で行く。京平のけがはいつも休日に起こる。周平には家に残ってもらい。ヨアヒムさんを迎えに行ってもらうことや電話連絡などを頼む。病院に入ったのが2時半少し前くらい。待合室には他に3組くらい待っていたが、けがが頭だし傷口から血がまだ少し出ているので、しばらくしてから「血が出ているから早くしてもらえませんか」ともう一回受付で言ってみたが二人の看護婦のうち一人は「当直医が一人しかいないので2時間くらい待ちます」という落ち着いた返事。もう一人の看護婦が私の方をにらみつけて急いでどこかにいく。こういうのがドイツのイヤなところなんだよな、と思う。ドイツで病院の世話にはなりたくない。
まあしょうがない、と思って、他に待っている人に聞いてみたら1時から待っている人もいる。私たちより1時間半早くから待っているわけだ。別の待合室から来たらしい車いすのおばあさんが、どこかに行きたいのかしょちゅう立ち上がっては看護婦さんに話しかけて「待っててください」と言われてまた座る、の繰り返し。別の人が、待ち時間が長すぎると受付に不平を言いに行く。周平から電話があり、家に来たヨアヒムさんにわけを説明する。
待っている間に患者が増える。救急車に乗せられてた女の子はそりで転んだらしい。京平よりちょっと年上の男の子が途中で入ってきた。腕が包帯に巻かれていて、聞いてみるとガラスで切ったらしい。
結局、6時半になってやっと診察室に通されて看護婦さんが京平の傷の周りの髪の毛を剃った。すぐに治療かと思ったらそのあと医者がなかなか来ないので私は診察室で横になったままの京平を不安がらせないように笑わせたりしていた。ひょっとして忘れられているんじゃないかと診察室から廊下に出ていた由美子の話では、休憩の時間になったのか医者はいなくなり、看護婦さんが外でたばこをふかしていたそうだ。車いすのおばあさんは、看護婦さんに車いすに縛り付けられたあと自分でそれをほどいてまた歩き回っていたそうだ。
7時になって、やっと医者が来た。ぽっかり3センチくらい開いている傷口の周りに麻酔注射を2本打つ。「けがをしたのはいつ頃ですか」と聞かれたので「2時ちょっと過ぎです。5時間も前です」と言った。医者も5時間待たせたことについてさすがに謝っていた。縫合の時に麻酔が効いていないらしく、京平が痛がったので少し待ってからもういちど縫合。X字型に2回縫っていた。治療が終わって7時半。
駐車場の料金はたっぷり5時間半ぶんとられる。もう料理どころじゃないので手っ取り早く近くの中華料理屋さんでチャーハンと焼きそばをテイクアウトして、やっと家に戻ってヨアヒムさんと再会。ヨアヒムさんがプレゼントしてくれた、ドイツ語の言葉の選び方のゲームで遊ぶ。由美子と子供たちは10時半ころベットに。周平の部屋はヨアヒムさんに貸して、周平は今まで通りの2段ベットへ。私はヨアヒムさんの新しい書体デザインを見たり今年一年のコンファレンスの話などして1時まで話し込んだ。頭を打った京平は夫婦のダブルベットの真ん中に寝かして、夜中も京平の容態に変化が起きないかどうか、また傷口をかきむしったりしないか心配で、夜中に京平が動くたびに由美子も私も何度も起きる。
翌日、私は7時半に目を覚まして京平がぐっすり寝ているのを見て安心して一人で朝食をとる。9時頃起きてきた京平が、前からほしがっていたバニラ味つきストローで(ストローの中にバニラ味の粒が入っていて、冷たい牛乳に味がついて口に入る)を一口飲んで言ったのが
「あー、オレは生きてて良かったなー」
だった。私も少し飲ませてもらったらミルクシェイクみたいな味がした。生きている喜びを味で表現するとミルクシェイクなのか。なんとなく納得する。
その日、ヨアヒムさんと私はフランクフルトに出て美術館を二軒観て、ヨアヒムさんはフライブルクに戻り、私は家に戻って風呂に入ったが、ゆっくりつかっていたら湯船で寝てしまった。その日もベットで京平を真ん中にはさんで寝る。
29日、30日は私は仕事。今年一年を振り返るとかそういう暇がないまま大晦日です。]]>
ドレスデンのクリスマス市
http://doitunikki.exblog.jp/9991736/
2008-12-26T08:56:00+09:00
2008-12-26T17:55:31+09:00
2008-12-26T17:46:25+09:00
akobayashi_dnikki
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その日にホテルに荷物を下ろした後すぐにクリスマス市に行く。574回目のクリスマス市、と誇らしげな横断幕。つまり574年の歴史があるということ。
市では、ドレスデンでなければぜったい食べられないようなものはなかったけれど、炭火で焼いたソーセージの前に行列ができていたのでそこに並んで熱々のを食べた。実際おいしくて、次の日も私はそこで食べた。
ドレスデンのホテルは私がインターネットで探して予約したが、思ったより広くて子供が大喜び。ホテルの周りや街の中心部ではやけに美容院が多いことに気づいた。ちなみに、ホテルから市電の停留所に行くまでの数百メートルの間に、プールバーが1軒、ネイルサロン1軒、パン屋が1軒、ケーキ屋が1軒、八百屋が1件という感じだったと思うが、それに対して美容院が5件あった。旧東ドイツなので、スーパーマーケットでは東っぽいデザインの食品パッケージを買い集めた。
25日に家に戻る。京平が、クリストキントからのプレゼントが届いているかどうか確かめるために真っ先に家に入り、ツリーの下にレゴの家があるのを見つけて喜んだ。私たちからは、周平にはソニーの MP-3プレーヤー、京平にはサッカーのアイントラハト・フランクフルトのユニホーム。夜遅くまで京平は家造り、周平は好きな曲のダウンロードをしていた。]]>
右門さんとドイツで再会
http://doitunikki.exblog.jp/9950277/
2008-12-21T05:20:00+09:00
2008-12-26T03:21:45+09:00
2008-12-21T05:21:29+09:00
akobayashi_dnikki
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右門さんのスケジュールはぎっちり詰まっている。でも当の本人は「どこまでできるかやってみようと思ってさ」とカラッと明るい。私も見習おう。]]>
ツァップさん宅で作業
http://doitunikki.exblog.jp/9900897/
2008-12-14T09:13:00+09:00
2008-12-14T18:05:47+09:00
2008-12-14T17:17:31+09:00
akobayashi_dnikki
書体デザインについての話題
電話して、訪問の時間を12月5日の2時としてもらった。12時45分のSバーンでフランクフルトまで行き、そこで電車を乗り継いでダルムシュタット東駅から歩いて行く、という予定だったが、当日朝のラジオを聞いた由美子から会社に電話があって、Sバーン(近郊都市線の電車)が動いていないというのでドイツ鉄道のウェブサイトを見たらやっぱりすべて運休になっている。タクシーで行くことにした。数日前の雪はもうすっかり溶けている。
2時から5時半までみっちり作業をした。ラップトップを持って行って、グドルンさんとツァップさんとに挟まれてその場で修整。ふたりの意見の合わないこともあるが、笑いながら穏やかに言い合いをするのを聞いているのも面白いし、作業の合間に昔の活字彫刻師ローゼンベルガーさんの話をしはじめることもあって最高に楽しかった。けっきょく修整作業は金曜日では終わらず、残りは月曜日に持ち越し。月曜日も一緒に作業ができるのは私もうれしいしふたりも楽しみにしている。
6時8分ダルムシュタット東駅発の電車に乗る。土砂降りだったのでグドルンさんが駅まで車で送ってくれた。家に帰ったのが7時半。
京平がこの日学校のクラスで行く予定だった観劇会は、Sバーンの運休のため無しになったそうだ。楽しみにしていたのに。
書体制作というのは、数字をひとつ直したら分数などいろんなところに同様の修整が必要になる。一筋縄にはいかないし、そういう修整が最終段階で出てくるのは普通。それを土曜日曜と家で進める。他にも雑誌の連載とか、ある本の翻訳のお手伝いとか同時に重なっている。こういう時に限って、余計な用事が入る。自転車用の充電式ライトを11月の最後の週に買ったんだけど、それが最初から使えない。充電ができない。6日の朝にそのために街の自転車屋さんにそれを返品しに行く。それ以後は土曜日は夜遅くまで作業。
12月8日の月曜日の朝は印字物の準備、午後2時から6時まで新しい印字物とラップトップを持ってツァップさん宅訪問、5時前に作業が終わって、グドルンさんの写真や彼女の作品、アトリエなどの写真を撮らせてもらった。
駅の近くまでツァップさんが歩いて見送ってくれるというので、毛糸の帽子をかぶったツァップさんと昔の活字の話をしながら歩いた。これは12月8日の夕方、やるべきことを終えてほっとして帰るダルムシュタット東駅。この日は一日中霧が濃かった。
その後最後の微調整などのやりとりは印字物を送って見てもらい、家でも念入りに最終チェックをしていた。12日に書体は無事完成した。いつもツァップさんから届くクリスマスのお菓子 Lebkuchen の詰め合わせが周平と京平あてに届いた。]]>
クリスマス市とアドベントカレンダー
http://doitunikki.exblog.jp/9814285/
2008-12-03T06:16:00+09:00
2008-12-03T16:16:10+09:00
2008-12-03T14:41:18+09:00
akobayashi_dnikki
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これはクリスマス市の屋台の一つ。クリスマス市ではたいてい木のおもちゃや飾りを売る店があって、これはそれの典型的なもの。
広場ではミニ蒸気機関車が。夜八時過ぎに子供が外にいることがほとんどないドイツの街でも、こういうお祭りの時だけは別です。
アドベントカレンダーはけっきょくうちに帰ってからアマゾンで注文してこれも問題なし。火曜日に届いた。
私も個人的にアドベントカレンダーを買った。理由は、自分の書体が使われていたから。詳しくは 書体についてのことを書きためる専用ブログ この記事 に書きました。手前に写っているのは由美子お手製のクリスマスリース。
追記:きょう12月3日は朝から雪で、いつもは自転車のところを30分かけて歩いてきました。会社についたら、窓がこんなになってました。ロンドンの Hoover Building を思わせるアールデコ風。
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ツァップさんの誕生日パーティと初雪
http://doitunikki.exblog.jp/9728595/
2008-11-22T10:22:00+09:00
2008-11-22T20:29:13+09:00
2008-11-22T18:28:04+09:00
akobayashi_dnikki
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食事を終えてツァップさんご夫妻が先に退席され、私達は他のゲストを見送ってから11時すぎくらいにレストランを出る。同僚に車で送ってもらい、家に帰ったのが夜12時近く。前社長がいつも言っていた。「ツァップさんの誕生日パーティの日は必ず初雪が降る」と。実際、2年前のパーティのときは、始まった直後に降り始め、会のあとは20センチくらい積もっていて大変だったが、今年は幸いにも降らなかった。
ちょっと前に家の近所でドイツ語の個人レッスンをしてくれる女の先生を由美子が見つけてきた。京平が学校の授業についていくためと、私のドイツ語もぜんぜん上達していないことにずっと前から気づいているため。出張も多いので個人レッスンの方が予定に合わせてできる。連絡を取ってその先生の家で面接をした。面接では京平も優しい笑顔の先生のことを気に入ったらしく、早く授業を受けたいとニコニコしながら言っていた。11月19日に京平が最初のレッスンを受けに行って、私は20日の夕方に。私が仕事の連絡で書いた手紙などを見せたら、かなり訂正が入った。これで今度からもうちょっとましな手紙が書ける。
21日金曜日、ツァップさんの誕生日パーティから2日後に、午前中から土砂降りと雷と強風。大きな仕事を片づけてほっとして4時半に家に帰ると、京平の友達 Florian が遊びに来ていた。薄暗くなってきた頃、初雪が降った。パーティがもし金曜日だったら今年もジンクス通りだったわけだけど...
これは家の台所から見た、11月22日土曜日の朝のドイツの雪景色。窓際に飾ってあるのは、由美子がこないだつくったビーズ製のツリー。 ]]>
ベルンとチューリッヒ出張
http://doitunikki.exblog.jp/9669985/
2008-11-15T10:27:00+09:00
2008-11-22T14:52:51+09:00
2008-11-15T18:33:47+09:00
akobayashi_dnikki
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10日の月曜から13日まではベルンにいてフルティガーさんと書体制作をして、今回も重要な改良点を2つ提案してフルティガーさんに喜んでもらい、良い仕事ができた。TypoZürich の講演のためにフルティガーさんにコメントももらったし、時間的に余裕があまり無かったけれど、講演の前にフルティガーさんとの仕事を入れたのは正解だった。自転車のライトはそういうのを置いてある店が見つからず買えなかったけど、本屋さんで店員さんにスイスの切り紙細工の本を探してもらったら一冊だけあったので迷わず買った。
(11月16日追記)そうそう、こないだ日本で見てきて書いたファッション量販店 H&M の話の続きです。スイスの大きな街では街のあちこちで無料の小型版新聞がおいてあって、毎日新しいのが発行される。ちょっとしたニュースとかテレビ番組とかが載っている。到着した日にチューリッヒ空港からベルンに向かう電車の中でその新聞を見たら、そこで H&M 日本に上陸のニュースが取り上げられていて、客の行列を整理するための警備員ふたりが写っていた。やっぱりニュースになるのかと思った。
これはベルンの街、アーレ川の上にかかる橋。この路面電車の赤が、少し青みがかった赤なのがいい。
13日の午後にベルンからチューリッヒに移動して、ちょっと時間をつくってチューリッヒ市内を歩き、時計博物館で調べものや質問をいろいろしてきた。
14日の朝9時半からの TypoZürich では私が最初の講演者で、内容はフルティガーさんと共同制作した書体 Frutiger Serif について。会場は80人くらいの席がいっぱいになっていた。講演が終わってすぐホテルに戻り、荷物を持ってチューリッヒ空港から飛行機でドイツに戻る。飛行機での旅はやっぱり移動中に仕事ができないのがちょっとつらい。でも収穫の多い旅でした。]]>
ドイツに戻って一週間
http://doitunikki.exblog.jp/9617232/
2008-11-09T06:42:00+09:00
2008-11-10T04:31:37+09:00
2008-11-09T15:29:05+09:00
akobayashi_dnikki
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これは11月2日の写真で、ここに写っている木の葉はこの一週間でほとんど落ちた。日が短くなって、朝明るくなるのは7時半、夕方は5時過ぎに暗くなる。自転車にライトがついていないし、畑のなかの一本道を通るのでその時間に合わせて7時半出社・5時退社。最高気温が15度以上あって、案外寒くはない。穏やかに晴れた一週間だった。
時差ぼけは一日で治ったが、時間がちょっとずれたままになった。家族と久しぶりに過ごす一週間だけど、夜9時前に眠気がおそってフラフラの状態で子供たちより早くおやすみをいってベットに入ってしまう。毎日たっぷり8時間くらい寝た。
日本でのセミナーの反響が届き始める。大阪の反応がとくに多くて、東京はこれまで何度もやっているが、今回大阪は初めてだったけれど良い反応ばかりでうれしい。こういうのがあるから少しくらい過密な予定でもお受けして良かったなあと思う。
11月7日は父の79歳の誕生日、11月8日はツァップさんの90歳の誕生日。ツァップさんには、毎年寄席文字で書いたカードを送っている。8日の朝は、子供たちが電話で父におめでとうを言った。
11月14日にスイスの チューリヒで公演 をすることになっていたのを、日本に行く直前まで忘れていた。月曜から木曜まで、たまっていた仕事をてきぱきとかたづけて、金曜でスライドの準備をする予定だったがけっきょく自宅に持ち帰り、土曜日までかかってできた。
どうせスイスに行くのなら効率よくやろうと、前から予定していたフルティガーさんとの共同制作も入れたので、ドイツに戻ってすぐフルティガーさんに電話を入れた。元気そうで、私の来るのを楽しみにしてくれている。前回フルティガーさんのところに行ったのは8月下旬だったので2月半ぶり。そのため明朝7時半の飛行機で一週間スイス出張です。スイス出張中にも、別の制作中の書体の最終チェックなど会社とのやりとりもメールで行う予定。なんとか時間を作って、スイスで自転車用のライト買ってこよう。]]>
新潟・東京・京都・大阪・そして東京
http://doitunikki.exblog.jp/9570761/
2008-11-03T19:08:00+09:00
2008-11-04T13:36:27+09:00
2008-11-04T03:11:52+09:00
akobayashi_dnikki
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10月16日木曜日、夕方ドイツを発つギリギリまで仕事をしていた。今年の夏頃から運悪く予定外の仕事が重なって、家で由美子と話をする時間がまともに取れなかったくらいで、日本で買う食品などは由美子が細かくメモに書いて渡してくれた。飛行機の中でもセミナーの準備を少しでも進めるため映画もなにも観ないでラップトップに向かう。17日の金曜日に日本に到着、電車で移動の途中も仕事で、私が実家についたのが夜8時、弟が10時ころ到着して、数年ぶりに一家4人がそろった。土曜日曜とゆっくりしていようと思ったが、トイレとか台所の掃除や照明器具の取り替えなどで結局毎日忙しかった。母とは昔の話をたくさんした。この家の立て替えの前の間取りはどうだったかとか、以前にも聞いていたけど、戦時中に母が女子挺身隊として西大畑から昭和石油まで片道2時間毎日歩いていたこと、昭和石油が米軍の艦載機の攻撃に遭い、艦載機からの機銃掃射で腰を抜かした母が目の前の防空壕にたどり着けなかったことなどを詳しく聞いた。そういえば、子供の時は『コンバット』などの戦争物テレビドラマが好きで仲間とも戦争ごっこをしていたが、戦争は格好良くもないし面白くもないということにはじめて気づいたのが高校生になってその話を聞いたときだったなあ。
20日の月曜、私の休みに合わせて休暇を取ってくれた従兄弟の車で温泉に行く。21日には母に付き添って K 病院へ行ったあと、ひとりで會津八一記念館に行ってそこの学芸員 Y さんに会う。戦後、母が勤めていた新潟公民館の用事で會津八一邸に何度かお使いに行って母が會津八一に会っていたらしいということを話したら驚いていた。「會津八一書論集」という本をいただき、その中で八一がローマ字のデザインに触れているのも面白かった。22日の水曜は、また従兄弟に津川の親戚や美術館やいろんなところに連れて行ってもらって、美味しい蕎麦も食べた。久しぶりに会う親戚がみんな元気そうで何よりだった。新潟はずっと晴れで、最高気温は25度まで上がった。
10月23日、朝9時に新潟を離れて午後に多摩美に入り、多摩美で講演ののち新横浜から新幹線で京都へ。多摩美を出るときから雨がかなり降っていた。京都の駅前のホテルに着いたのは夜10時だった。鳥海さん(たまたま同じホテルを予約していた)、昌生さん、立野さんといっしょに翌朝ちょっとだけでも観光しようと9時の待ち合わせにした。今回、目覚まし時計をドイツに忘れてきたらしいが、大丈夫だろうと思ってそのまま寝たら、翌日の朝、目が覚めたのが8時40分! 大急ぎで支度してホテルのロビーに降りる。前の日に買ってあったパンをタクシーの中で食べ、銀閣寺を観にいく。銀閣寺は工事中だったが東求堂は拝観できた。
24日午後に京都精華大で講演、私のローマン体の講義とワークショップのあとで、字游工房の鳥海さんといっしょに雑談形式の講演をした。鳥海さんといっしょに講演会に出るのは初めてで、いい話ができた。定員110人の教室で立ち見が20人くらいいた。精華大の人と夕食のあと、場所を石塀小路という一角にある風情のある民家を改装したバーに移して語り合う。
翌日25日は京都のホテルを出て大阪に移動、講演会場である大阪 ddd ギャラリーに昼前に到着して昼食後にセミナー開始、参加者から質問をあらかじめいただいておいてそれに答える、という形式で行う今回初めての試みで、定員80人いっぱいだったが、会場も明るくてなごやかな雰囲気のおかげか、気楽に話ができた。終わってから、参加者のひとりに「思ったより明るいのでびっくりした」と声をかけて頂いた。美術出版社の宮後さんと高岡昌生さん、立野さんといっしょに東京へ戻るときに新幹線の時間まで間があったので待合室でたこ焼きと鯖寿司の夕食をとる。
新幹線で東京に着き、お茶の水にあるホテルに入ったのが夜の10時半だった。知り合いの M からホテルのカウンターに電話があって、翌日のことで打ち合わせ。翌26日は、今年8月末に亡くなった大学時代の親友 T の家に挨拶にいった。昼前だったが、お母さんがカツサンドイッチをつくって待っていてくれた。25年前のようにたくさんごちそうになって、たくさん話をして帰った。
27日、お昼はカリグラフィユニットのモジトルの S さん H さんといっしょに食べて、そのあと銀座へ。インタビューの用事がふたつ重なっていて、テーマが同じ Helvetica についてなので二つを一つにまとめてもらい、合同インタビューということにしてもらっていた。それがおわって夕方6時の会食に向かう途中、H&M の前に行列を整理するらしい係員二人と行列用のロープが張ってあるのを見て、噂に聞いていたのはこれかと思ってしばらく見ていた。由美子に見せようと思って写真も撮った。月曜の夕方だったので行列こそできていなかったが、見ているとどんどん人が入っていく。10秒間で10人くらい、吸い込まれるようにどんどん入る。私も話の種に店に入ってみる。店内は人がごった返しているが、商品を整理する店員が多いためか、ディスプレイもきれいで整然としていた。ドイツでは H&M に行列なんて絶対できないし、店内は雑然として服なんかハンガーからずり落ちて床に落ちているし、私の家族みたいにお金持ちでない人たちの行く店なので H&M に行くこと自体にワクワク感はない。子供の服がきつくなったけどお金がないから15ユーロ以内で...みたいなときによく寄る店で、そこで私も季節はずれになった処分品を買う。そういう店なんだけど日本だと銀座で行列なのか...来ている人もおしゃれな人が多い。H&M を出て資生堂パーラーのディスプレイがきれいだったので店内をゆっくり眺めているうちに夕立になった。びしょぬれで天ぷら屋さんに入る。
28日の東京工芸大学でのセミナーは250人収容の講義室が満員だった。今回は初めてセミナーあとのサインや名刺交換をしないことになった。例年のようすから、それをやり始めると2時間くらいかかりそうなのでTDCの方と相談した結果なんです。でも、肝心のセミナーでは専門的な内容を気楽に解説できたと思う。文字の世界って楽しいんだ、そういうことが伝わればいい。そういう意味で、今回の公演ツアーは大成功だったと思う。
29日、TDCの書体デザイン部門審査会のあと葛西さんと広尾の日本料理屋さんで夕食。料理も美味しかったけど部屋のつくりがよかった。灯りは乳白色のガラスの傘がついた白熱灯ひとつ。これが気に入った。日本だと、たいていのお店は蛍光灯だけど、白熱灯一つの照明の下だと料理の陰影がきれいに出て、それが丁寧につくられたように見える。じっさい丁寧につくられていた。食事のあとでその店の女性オーナーにそのことを話して、勇気の要ることですよね、といった。葛西さんが、持参したその店のロゴを入り口のどの位置に入れるか外に出て慎重に検討していた。
30日も、TDCのグラフィック部門審査会で、そのあと友人の M さんたちと夕食会。31日、グラフィック部門審査会を終えて日本で最後の晩はTDCの人たちといっしょに夕食会。会場に移る途中で浅葉さんと卓球の話をしながら行った。
11月1日はホテルの人に5時45分にモーニングコールをしてもらい、荷物をスーツケースとバッグに詰めて朝の8時に成田行きのバスに乗る。ANA のカウンターで預け入れ荷物の重量を量ったところ、制限の 40kg ギリギリの 38.5kg だった。由美子に頼まれた味噌などの食料品が多いからどうしても重くなる。23日から31日まで、一人でいる時間がほとんど無かったなあ。落語に行くかなんて考える暇もないくらい忙しかったけど充実した時間だった。
飛行機の中は、映画をみたり制作中の書体の仕事をしたりして眠らないできた。ドイツのうちに戻って、夕食後に荷物をといておみやげを子供たちに渡したところで眠くなり、9時に寝た。]]>
ロンドンで休暇
http://doitunikki.exblog.jp/9392882/
2008-10-15T20:31:00+09:00
2008-10-16T15:23:27+09:00
2008-10-16T03:56:18+09:00
akobayashi_dnikki
未分類
ロンドンでは、河野英一さんとか、ロンドンで働いているデザイナーとかプロのカリグラファたちとか、いろんな人と会ってきました。寄席文字の橘右門さんのワークショップがあるよ、と声をかけたら集まってくれたんです。こんなスゴイ人たちが集まっている! という顔ぶれでした。右門さんとも久しぶりにゆっくり話ができたのも良かった。いやー不思議な縁だねー、と右門さんが感心していたけど、本当にその通り。
鉄道ファンの右門さんから聞いて、ホテルからすぐの Waterloo 駅から発車するという珍しい蒸気機関車も見てきました。右門さんもいるんだけど、ホームの先端まで行って写真撮っていたのでここには写っていません。あとで見せてもらったけど、鉄道ファンだなーという良い写真いっぱい撮ってました。
子供たちはハイドパークでリスに栗をやるのが面白くなってそこで3時間くらい使っていたけど、せかせか歩き回るよりのんびりできて良かった。
思えば19年前、一人で学生として歩き回っていたおんなじ場所をカミさんと子供を連れて歩いてるんだ、と考えると不思議なもんです。
当時通っていた英会話学校の前でも記念撮影。周平がシャーロック・ホームズに興味を持っているのを知ってちょっと驚いた。あとから聞いたけど、私が寄席文字ワークショップ、由美子と子供たちは市内見物と別行動をしたときに、周平がシャーロック・ホームズ博物館に行くためにベイカーストリートのどこでバスを降りるか運転手さんに英語で尋ねたらしい。学校で英語を習いはじめた京平も、ホテルの人に何か頼み事をしたときに Thank you がちゃんと言えていた。
最終日は荷物を持ってホテルから出てタクシーに乗り、交通博物館へ。博物館からセント・パンクラスへもタクシーで、向かい合わせの座席に京平が座って喜んでいた。
5日間ずっと晴れていて気持ちの良い秋のロンドンでした。
17日から日本出張。東京TDCのお招きでセミナーと審査会です。16日の夜に日本に向けて出発です。]]>
ロシアでのコンファレンス
http://doitunikki.exblog.jp/9148521/
2008-09-22T15:35:00+09:00
2008-09-23T04:50:14+09:00
2008-09-22T22:55:22+09:00
akobayashi_dnikki
書体デザインについての話題
今回の私は担当は17日、18日の二日間にわたってロシアの学生さんたち14人を相手に書体デザインを教えるワークショップ。これは昨年12月にニューヨークでやったのをマキシムが見ていて、ロシアで同じ事をやろうということで今年初めから計画していました。最初の2日間でワークショップがおわるので、コンファレンス後半は気楽でいいやと思ってたんですが、出発の前々日、14日の日曜日の夜にロシアからメール連絡が入りました。20日の夕方に講演をする予定のエリック・シュピーカーマンが急遽欠席ということになり、その穴を埋めるために私に代わりの講演をして欲しいという依頼でした。大看板のシュピーカーマンさんの代わり、というのはちょっと足がすくみましたが、けっきょく引き受けました。内容はツァップさんとフルティガーさんとの共同作業の話。
プレゼンテーションの用意なんてまったくしていなかったので、15日の月曜に会社で資料をスキャンして画像をとりあえず揃え、火曜日はロシア行きの飛行機の中から画像の準備を始める。最初の2日間はワークショップのほうに集中。学生さんのレベルもなかなか高く、ワークショップの結果は上出来でした。二日目は、仕上がった書体の展示を会場のメインホールでして、満足そうな笑顔の学生さんに囲まれて写真を撮りました。そのあとで、シュナイダーさんの作品が展示されているというカリグラフィ展まで40分かけて歩きました。
コンファレンス3日目は普通に参加してキリル文字について私もちょっと勉強。夕方から夜中まで講演の画像の準備。4日目、講演の当日は朝からホテルに缶詰状態、昼はショッピングモールの近くのパン屋さんで鶏肉とキノコを煮込んだ具が入った平らな肉まんみたいなパンを買ってきてすぐ部屋に戻り、パンを食べながら画像の準備をした。これはそのパン屋で売っていたトルテ。装飾の仕方がドイツやスイスと違っていて面白い。
準備は4時ころ終わって、5時20分からの講演そのものは落ち着いてどうにかこなしました。これは私が講演したのと同じホール。このゴテゴテの装飾がいい。トルテの装飾と共通性があるような気がする。壇上は私でなくジェリー・ケリーさんです。 私の講演が無事終わったとき、本『欧文書体2』でパリの写真で協力してくれたサラが待っていたので、パーティには行かず夕食をふたりで一緒にした。サラには本を送ってあったんだけど、サラが一足先にロシアに来ていて行き違いになっていた。
街を歩くのが面白かった。これはサンクト・ペテルスブルグの表の顔、つまりメインストリートにあるショッピングモールの外側。 ここはありきたりのお土産品とかが並んでいて面白くなかったけれど、メインストリートからちょっと引っ込んでいるゴチャゴチャした路地裏のマーケットがちょっと危ない感じで、でも活気があって面白かった。普通の人にはちょっと分からないような入り口から入ったところにある。何も買わなかったけど。リヤカーに山のように荷物を積んで本当に重そうに引いている人とか見たのは久しぶり。昭和の時代の日本みたいな感じだった。
5日目、コンファレンス最終日に、社長と同僚のナディンとエルミタージュ美術館まで歩いたけれど時間が遅くて閉まっていた。街をぶらぶら歩いて、そのあと空港へ。フランクフルト空港に着いて荷物が出始めたのが夜9時ちょっと前だったので、これは9時15分くらいにうちに帰れるなと思ったが、ナディンの荷物はすぐ出てきたのに社長のと私の預け入れ荷物が30分くらい待っても出てこない。こないだのトロント空港でそういう目にあっているので、2回連続かよー...とがっくりしていたら、ナディンが「帰りの便だからまだ問題が少なくて良いね」と慰めてくれた。すると、「サンクト・ペテルスブルグからの荷物を待ってるの?」と聞いてくる人がいて、それだったら11番のベルトから16番に変更になった、というのを教えてくれた。16番に行ったけど出てくる気配がない。また11番で待っていると、こんどは別の人が17番から出てきたと教えてくれた。それで17番に行くと私の荷物が一つだけベルトに乗って回っていた。それでも社長の荷物が出てこないのでしばらく待って、社長は私達に帰りなさいといって一人でルフトハンザのカウンターにいった。けっきょくタクシーで私が家に着いたのが10時。
飛行機の旅がだんだんイヤになってきた。こういう時間がなんだかもったいない。書体デザインの時間にもっと時間を使いたい。来年からちょっとコンファレンスを抑えようかな。]]>
新しいブログ「タイプディレクターの眼」はじめました
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そこで「タイプディレクターの眼」 という新しいブログをつくって、書体デザイン関係の話とか使用例とかをまとめるつもりです。書体デザインに興味のある人、のぞいて見てください。
この「ドイツ日記」ブログから、最近の記事のうち「クリングシュポール博物館で講演」と「10月に日本に行って講演」の二つをそちらにも掲載しました。]]>
会社のお披露目
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ロシア行きの支度がなかなかできない。]]>
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