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2008年 01月 12日
アドリアン・フルティガー氏の奥さんシモーネさんが年明けに亡くなりました。
フルティガー氏は最初の奥さんと、二人の娘さんとを見送ったことになります。 同僚オトマーからのメールでそれを知ったのが8日の晩で詳しいことはわからなかった。私は9日まで冬休みをとっていて10日の木曜日が今年最初の出社だった。会社に行くと、フルティガーさんから1月2日付けの手紙が届いていた。昨年末、私が中国出張で買って帰ってきた「剪紙」と呼ばれる切り紙細工をドイツに戻った翌日にフルティガーさんに送っていたが、それに対してのお礼の手紙だった。そこにはフルティガーさんが年末に体調を崩して入院された事、そのため返事が遅れたことのお詫びなどがあったが奥さんのことは何も書かれていなかった。 スイスのベルン郊外での告別式に参加するため、1月11日金曜日早朝ベルンに向かう車の中でオトマーから奥さんが亡くなったのもやはり1月2日だったらしいと聞いて、それが納得いかなかった。ちなみに、ヘルマン・ツァップ氏の奥さんグドルンさんはその日満90歳のお誕生日を迎えられていて、オトマーはその日ダルムシュタットに花束を届けにいった。 教会に着いて、ライノタイプ社からの大きな花輪をおろす。2時から告別式がはじまり、しばらく外に立っていたがよく晴れて暖かく、まるで春先のようだった。告別式の行われた教会では、なんだか小さな落ち葉とか花とか、葉の落ちた梢の先端とか細かいところにばかり目がいった。教会の建物の陰には霜がずっと降りたままだったが全く寒さを感じなかった。 教会の中での牧師さんからの話では、2日の晩に自宅の居間でフルティガーさんと息子さんとシモーネさんの妹さんといっしょの時に心臓発作で急死されたということだった。長くは苦しまなかったと聞いてなんだかほっとした。悲しみでフルティガーさんもボロボロになっているのではないか、あるいは病み上がりの上に心労で体調を崩されているのではないかと心配していたが、思いのほかお元気そうで、私達が来たのをとても喜んでくださった。 「剪紙」は私が前から中国で欲しかったものの一つで、良いものを選んでフルティガーさんに送ろうと決めていた。彼の白と黒とのバランスの考え方と「剪紙」は似ていると思っているから。自分の見立てで、細かいだけで弱々しいものは選ばず、大胆で力のある切り方をしていて切り取った空間の部分の形の一番美しい「福」の字を時間をかけて選んだ。告別式のあとフルティガーさんにその話をしたら、退院されたばかりのフルティガーさんは亡くなる直前の奥さんとそれをご覧になってあれこれ話をされたということだった。それを聞いて嬉しかった。私の記憶にあるシモーネさんはいつも笑顔で、いつも日本の絣を身につけていた。私の選んだ「剪紙」をご覧になってきっと喜ばれたと思うと嬉しかった。 午後5時ころ、告別式のあとの食事会の途中ではあるけれど、おいとましないと帰宅が深夜になってしまうので、フルティガーさんに「いま制作中の書体の印字見本を持ってまた2月のはじめころに参ります」と言ってお別れした。 きょう出かけるときは、もっと悲しい気分で戻ることになるのではと思っていた。でも告別式に行って本当に良かった。まるで、元気なシモーネさんに会ってたっぷり話をしてきたように、ほわんと暖かくなって帰ってきた。この日のことは忘れないと思う。 追記:フルティガーさんには、ベルンに向かう日の朝見た小泉均さんのブログのことも伝えました。「小泉さんが84年のスキヤキのことを思い出していますよ」って言いました。 ご夫妻で日本民藝館の前で撮った写真のある小泉均さんのブログ
by akobayashi_dnikki
| 2008-01-12 01:09
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