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2009年 01月 01日
2006年4月から続けている「ドイツ日記」、アップロードできる画像の容量が制限いっぱいになっちゃったので2冊目をつくりました。
「小林章のドイツ日記2」は こちら へどうぞ。 2009年 01月 01日
これは2009年1月1日になった直後の近所の様子。ドイツではこの時期数日間だけ花火をスーパーマーケットなどの小売店で買うことができます。花火を上げていいのは大晦日から元日へ日付が変わる前後だけ。
閑静な住宅街ですが、ほとんどすべての家で打ち上げるのでこんなふうです。小さく見えてるのも全部花火です。遠いのでわかりづらいけど。そういえば、去年もこの年越しの花火を見ようとしたけど、そのときは霧が濃くてほとんど見られなかった。今年は快晴で遠くの方までよく見えた。 ![]() ![]() 2008年 12月 30日
そういう瞬間は誰にでもある。うちの次男の京平(8歳)がそれを感じたのはこないだの土曜日、12月27日。
ドレスデン旅行から帰ってきた翌日の26日、友達のヨアヒムさん(デザイナーでサンフランシスコ在住)が帰省中で実家のフライブルクから電話をかけてきて、27日に遊びに来るという。前々からだいたいその日か29日といっていたので特に慌てないが、子供たちの部屋と夫婦の寝室との入れ替えを11月からやっていて、部屋の模様替えが途中までしかできていなかったので、26日と27日の午前中で全部それをやり終えてヨアヒムさんを迎える、とすることにした。すでに11月に子供の二段ベットは下におろしてきて私の本棚は上に移しておいたから、今回は、洋服ダンスと夫婦のベットをばらして上の部屋に運んで完了。周平が重いものを持ってくれるのでだいぶ助かった。終わったのが27日の昼で、ヨアヒムさんが3時ころ到着の予定なので、まず郵便局に年賀状を出しにいく。郵便局の窓口が8つくらいあるのに3人しか働いていないため約20分ならぶ。そのあと買い物に行って、日本料理が大好きなヨアヒムさんが泊まるので夕食は鍋にしようと材料を買い込んで家に戻った。 お昼を食べたあと、食卓で私は由美子とお茶を飲んでゆっくりしていた。ヨアヒムさんが来るのがよほどうれしいのか、パワーが余っているのか、京平がふざけて走ってきて居間の床をツツーッと滑って遊ぼうとしたのが目のはじっこで見えた。滑ったときにバランスを崩した京平が派手に転んで、その拍子にテレビの台の角に思いっきり頭をぶつけた! ぶつけたところは見ていなかったが音で分かる。京平は四つん這いで大声で泣きだす。駆け寄ってみると血がぼたぼた落ちてくる。すぐにペーパータオルを何枚か持ってきて頭を押さえたがすぐ血で真っ赤になった。 土曜日なので、救急病院へ車で行く。京平のけがはいつも休日に起こる。周平には家に残ってもらい。ヨアヒムさんを迎えに行ってもらうことや電話連絡などを頼む。病院に入ったのが2時半少し前くらい。待合室には他に3組くらい待っていたが、けがが頭だし傷口から血がまだ少し出ているので、しばらくしてから「血が出ているから早くしてもらえませんか」ともう一回受付で言ってみたが二人の看護婦のうち一人は「当直医が一人しかいないので2時間くらい待ちます」という落ち着いた返事。もう一人の看護婦が私の方をにらみつけて急いでどこかにいく。こういうのがドイツのイヤなところなんだよな、と思う。ドイツで病院の世話にはなりたくない。 まあしょうがない、と思って、他に待っている人に聞いてみたら1時から待っている人もいる。私たちより1時間半早くから待っているわけだ。別の待合室から来たらしい車いすのおばあさんが、どこかに行きたいのかしょちゅう立ち上がっては看護婦さんに話しかけて「待っててください」と言われてまた座る、の繰り返し。別の人が、待ち時間が長すぎると受付に不平を言いに行く。周平から電話があり、家に来たヨアヒムさんにわけを説明する。 待っている間に患者が増える。救急車に乗せられてた女の子はそりで転んだらしい。京平よりちょっと年上の男の子が途中で入ってきた。腕が包帯に巻かれていて、聞いてみるとガラスで切ったらしい。 結局、6時半になってやっと診察室に通されて看護婦さんが京平の傷の周りの髪の毛を剃った。すぐに治療かと思ったらそのあと医者がなかなか来ないので私は診察室で横になったままの京平を不安がらせないように笑わせたりしていた。ひょっとして忘れられているんじゃないかと診察室から廊下に出ていた由美子の話では、休憩の時間になったのか医者はいなくなり、看護婦さんが外でたばこをふかしていたそうだ。車いすのおばあさんは、看護婦さんに車いすに縛り付けられたあと自分でそれをほどいてまた歩き回っていたそうだ。 7時になって、やっと医者が来た。ぽっかり3センチくらい開いている傷口の周りに麻酔注射を2本打つ。「けがをしたのはいつ頃ですか」と聞かれたので「2時ちょっと過ぎです。5時間も前です」と言った。医者も5時間待たせたことについてさすがに謝っていた。縫合の時に麻酔が効いていないらしく、京平が痛がったので少し待ってからもういちど縫合。X字型に2回縫っていた。治療が終わって7時半。 駐車場の料金はたっぷり5時間半ぶんとられる。もう料理どころじゃないので手っ取り早く近くの中華料理屋さんでチャーハンと焼きそばをテイクアウトして、やっと家に戻ってヨアヒムさんと再会。ヨアヒムさんがプレゼントしてくれた、ドイツ語の言葉の選び方のゲームで遊ぶ。由美子と子供たちは10時半ころベットに。周平の部屋はヨアヒムさんに貸して、周平は今まで通りの2段ベットへ。私はヨアヒムさんの新しい書体デザインを見たり今年一年のコンファレンスの話などして1時まで話し込んだ。頭を打った京平は夫婦のダブルベットの真ん中に寝かして、夜中も京平の容態に変化が起きないかどうか、また傷口をかきむしったりしないか心配で、夜中に京平が動くたびに由美子も私も何度も起きる。 翌日、私は7時半に目を覚まして京平がぐっすり寝ているのを見て安心して一人で朝食をとる。9時頃起きてきた京平が、前からほしがっていたバニラ味つきストローで(ストローの中にバニラ味の粒が入っていて、冷たい牛乳に味がついて口に入る)を一口飲んで言ったのが 「あー、オレは生きてて良かったなー」 だった。私も少し飲ませてもらったらミルクシェイクみたいな味がした。生きている喜びを味で表現するとミルクシェイクなのか。なんとなく納得する。 その日、ヨアヒムさんと私はフランクフルトに出て美術館を二軒観て、ヨアヒムさんはフライブルクに戻り、私は家に戻って風呂に入ったが、ゆっくりつかっていたら湯船で寝てしまった。その日もベットで京平を真ん中にはさんで寝る。 29日、30日は私は仕事。今年一年を振り返るとかそういう暇がないまま大晦日です。 2008年 12月 26日
12月21日の日曜日から25日まで、ドイツの北東部にある街ドレスデンに行ってました。目的はドイツ最古と言われるクリスマス市を観るため。ドイツ鉄道で約5時間かけて日が沈んでからドレスデン駅に到着、今回は旅行の下調べがほとんどできないままきた。来る前にプリントアウトしておいたホテルの所在地を忘れてきたので駅でホテルの場所を調べてもらい、駅からタクシーで向かう途中に運転手さんにいろいろドレスデンのことを聞いた。街で一番大きいクリスマス市がどこにあるか、ここでは Weihnachtsmarkt でなく Striezelmarkt という、 Striezel はドイツのクリスマスケーキ(シュトレン)のこと、などなど。
その日にホテルに荷物を下ろした後すぐにクリスマス市に行く。574回目のクリスマス市、と誇らしげな横断幕。つまり574年の歴史があるということ。 ![]() 市では、ドレスデンでなければぜったい食べられないようなものはなかったけれど、炭火で焼いたソーセージの前に行列ができていたのでそこに並んで熱々のを食べた。実際おいしくて、次の日も私はそこで食べた。 ドレスデンのホテルは私がインターネットで探して予約したが、思ったより広くて子供が大喜び。ホテルの周りや街の中心部ではやけに美容院が多いことに気づいた。ちなみに、ホテルから市電の停留所に行くまでの数百メートルの間に、プールバーが1軒、ネイルサロン1軒、パン屋が1軒、ケーキ屋が1軒、八百屋が1件という感じだったと思うが、それに対して美容院が5件あった。旧東ドイツなので、スーパーマーケットでは東っぽいデザインの食品パッケージを買い集めた。 25日に家に戻る。京平が、クリストキントからのプレゼントが届いているかどうか確かめるために真っ先に家に入り、ツリーの下にレゴの家があるのを見つけて喜んだ。私たちからは、周平にはソニーの MP-3プレーヤー、京平にはサッカーのアイントラハト・フランクフルトのユニホーム。夜遅くまで京平は家造り、周平は好きな曲のダウンロードをしていた。 2008年 12月 21日
文化交流使としてロンドンに滞在中の寄席文字の右門さんが、ドイツでも寄席文字を披露したいと前々からいっていて、私も今年の春頃から各方面に働きかけていたところ、来年1月にフランクフルトでそれが実現することになった。12月18日の木曜日、右門さんが会場の下見や打ち合わせで急にフランクフルトに(一晩だけ)くることになり、私もドイツ語の個人レッスンを6時までで短く切り上げてもらって夕方からフランクフルトに行く。右門さんと2ヶ月ぶりに再会、日本領事館の方ともお会いして、私の提案でいっしょにクリスマス市見物に行った。レーマー広場の人混みをかき分けてグリューワインを片手にいろいろ話がはずむ。
![]() 右門さんのスケジュールはぎっちり詰まっている。でも当の本人は「どこまでできるかやってみようと思ってさ」とカラッと明るい。私も見習おう。 2008年 12月 14日
12月5日金曜日は、ダルムシュタットにあるツァップさん宅へ出向いてそこで書体制作の作業をした。今年はじめから印字物とそれに対するコメントのやりとりだけで進めていたヘルマン・ツァップさんの書体と奥さんのグドルンさんの書体のうち、グドルンさんの書体のほうを今年中に仕上げる予定だった。しかし最終段階で予定が一週間繰り上げになって、12日までになんとか終わらせろ、ということになって大急ぎでまとめに入る。デザインの確認などは怠りたくないが、印字物を12月2日の火曜日に郵送しても、普通は翌日に届くところが雪のせいかそれが4日になってもツァップさん宅に届かない。じゃあツァップさんのところで作業をすれば、グドルンさんの修整指示通りに直したり私のほうからその場で提案したりできる。
電話して、訪問の時間を12月5日の2時としてもらった。12時45分のSバーンでフランクフルトまで行き、そこで電車を乗り継いでダルムシュタット東駅から歩いて行く、という予定だったが、当日朝のラジオを聞いた由美子から会社に電話があって、Sバーン(近郊都市線の電車)が動いていないというのでドイツ鉄道のウェブサイトを見たらやっぱりすべて運休になっている。タクシーで行くことにした。数日前の雪はもうすっかり溶けている。 2時から5時半までみっちり作業をした。ラップトップを持って行って、グドルンさんとツァップさんとに挟まれてその場で修整。ふたりの意見の合わないこともあるが、笑いながら穏やかに言い合いをするのを聞いているのも面白いし、作業の合間に昔の活字彫刻師ローゼンベルガーさんの話をしはじめることもあって最高に楽しかった。けっきょく修整作業は金曜日では終わらず、残りは月曜日に持ち越し。月曜日も一緒に作業ができるのは私もうれしいしふたりも楽しみにしている。 6時8分ダルムシュタット東駅発の電車に乗る。土砂降りだったのでグドルンさんが駅まで車で送ってくれた。家に帰ったのが7時半。 京平がこの日学校のクラスで行く予定だった観劇会は、Sバーンの運休のため無しになったそうだ。楽しみにしていたのに。 書体制作というのは、数字をひとつ直したら分数などいろんなところに同様の修整が必要になる。一筋縄にはいかないし、そういう修整が最終段階で出てくるのは普通。それを土曜日曜と家で進める。他にも雑誌の連載とか、ある本の翻訳のお手伝いとか同時に重なっている。こういう時に限って、余計な用事が入る。自転車用の充電式ライトを11月の最後の週に買ったんだけど、それが最初から使えない。充電ができない。6日の朝にそのために街の自転車屋さんにそれを返品しに行く。それ以後は土曜日は夜遅くまで作業。 12月8日の月曜日の朝は印字物の準備、午後2時から6時まで新しい印字物とラップトップを持ってツァップさん宅訪問、5時前に作業が終わって、グドルンさんの写真や彼女の作品、アトリエなどの写真を撮らせてもらった。 駅の近くまでツァップさんが歩いて見送ってくれるというので、毛糸の帽子をかぶったツァップさんと昔の活字の話をしながら歩いた。これは12月8日の夕方、やるべきことを終えてほっとして帰るダルムシュタット東駅。この日は一日中霧が濃かった。 ![]() その後最後の微調整などのやりとりは印字物を送って見てもらい、家でも念入りに最終チェックをしていた。12日に書体は無事完成した。いつもツァップさんから届くクリスマスのお菓子 Lebkuchen の詰め合わせが周平と京平あてに届いた。 2008年 12月 03日
11月29日の土曜は、うちの街ととなりの Oberursel でクリスマス市が開かれていたので家族四人で行ってきました。子供が「ポケモンのアドベントカレンダー」がほしくて、それを探しにうちの街に一件だけあるおもちゃ屋さんに言ったら売り切れていて、それで隣町までいったわけです。けっきょくその街のおもちゃ屋さんでも売り切れだったので、あきらめて街をぶらつき、混み合うクリスマス市の屋台でスープとパンを食べてきました。「ジャガイモスープを3つ!」と屋台のおばさんに声をかけ、おばさんも「ジャガイモスープね」と確認した。頼んだあとで、しまった、豆のスープの方が食べたかった、と思い直したが、おばさんが奥の方にいってしまった。まあいいか、と思っていたらおばさんが豆のスープをまずひとつ持ってきた。「これジャガイモスープ?」と聞いたら間違えたらしく、おばさんも困ったようだったが、「本当は豆のスープが食べたかったんです、後の二つはジャガイモスープで」といってすべて平和に片付く。
これはクリスマス市の屋台の一つ。クリスマス市ではたいてい木のおもちゃや飾りを売る店があって、これはそれの典型的なもの。 ![]() ![]() アドベントカレンダーはけっきょくうちに帰ってからアマゾンで注文してこれも問題なし。火曜日に届いた。 私も個人的にアドベントカレンダーを買った。理由は、自分の書体が使われていたから。詳しくは 書体についてのことを書きためる専用ブログ この記事 に書きました。手前に写っているのは由美子お手製のクリスマスリース。 追記:きょう12月3日は朝から雪で、いつもは自転車のところを30分かけて歩いてきました。会社についたら、窓がこんなになってました。ロンドンの Hoover Building を思わせるアールデコ風。 ![]() 2008年 11月 22日
11月19日水曜日の夕方は、ライノタイプ主催でヘルマン・ツァップさんの90歳のお祝い夕食会をダルムシュタットの近くのレストランで開いた。ツァップさんも奥さんのグドルンさんも元気そうでなにより。お二人とは仕事の用事でほとんど毎週電話とかファクスとかで連絡を取り合っているけれど、じかに会うのは夏以来はじめて。レストランはユーゲントシュティル様式の建物で、しばらく使われていなかったのを最近修復してレストランとして使っているそうだ。20人くらいの小さなパーティで、ライノタイプからは前社長といまの社長とマーケティングの数名と私だけ、あとはツァップさんのごく親しい知り合いという小さな楽しい会だった。ツァップさんへのプレゼントとして日本の立野さんから前日に届いた見事なカリグラフィ作品を私が持っていったら、みんながそれに釘付けになっていた。
食事を終えてツァップさんご夫妻が先に退席され、私達は他のゲストを見送ってから11時すぎくらいにレストランを出る。同僚に車で送ってもらい、家に帰ったのが夜12時近く。前社長がいつも言っていた。「ツァップさんの誕生日パーティの日は必ず初雪が降る」と。実際、2年前のパーティのときは、始まった直後に降り始め、会のあとは20センチくらい積もっていて大変だったが、今年は幸いにも降らなかった。 ちょっと前に家の近所でドイツ語の個人レッスンをしてくれる女の先生を由美子が見つけてきた。京平が学校の授業についていくためと、私のドイツ語もぜんぜん上達していないことにずっと前から気づいているため。出張も多いので個人レッスンの方が予定に合わせてできる。連絡を取ってその先生の家で面接をした。面接では京平も優しい笑顔の先生のことを気に入ったらしく、早く授業を受けたいとニコニコしながら言っていた。11月19日に京平が最初のレッスンを受けに行って、私は20日の夕方に。私が仕事の連絡で書いた手紙などを見せたら、かなり訂正が入った。これで今度からもうちょっとましな手紙が書ける。 21日金曜日、ツァップさんの誕生日パーティから2日後に、午前中から土砂降りと雷と強風。大きな仕事を片づけてほっとして4時半に家に帰ると、京平の友達 Florian が遊びに来ていた。薄暗くなってきた頃、初雪が降った。パーティがもし金曜日だったら今年もジンクス通りだったわけだけど... これは家の台所から見た、11月22日土曜日の朝のドイツの雪景色。窓際に飾ってあるのは、由美子がこないだつくったビーズ製のツリー。 ![]() 2008年 11月 15日
また一週間の出張でした。11月10日からベルンでフルティガーさんと共同制作のあと、14日にチューリッヒの TypoZürich という小規模のコンファレンスで講演してきました。
10日の月曜から13日まではベルンにいてフルティガーさんと書体制作をして、今回も重要な改良点を2つ提案してフルティガーさんに喜んでもらい、良い仕事ができた。TypoZürich の講演のためにフルティガーさんにコメントももらったし、時間的に余裕があまり無かったけれど、講演の前にフルティガーさんとの仕事を入れたのは正解だった。自転車のライトはそういうのを置いてある店が見つからず買えなかったけど、本屋さんで店員さんにスイスの切り紙細工の本を探してもらったら一冊だけあったので迷わず買った。 (11月16日追記)そうそう、こないだ日本で見てきて書いたファッション量販店 H&M の話の続きです。スイスの大きな街では街のあちこちで無料の小型版新聞がおいてあって、毎日新しいのが発行される。ちょっとしたニュースとかテレビ番組とかが載っている。到着した日にチューリッヒ空港からベルンに向かう電車の中でその新聞を見たら、そこで H&M 日本に上陸のニュースが取り上げられていて、客の行列を整理するための警備員ふたりが写っていた。やっぱりニュースになるのかと思った。 これはベルンの街、アーレ川の上にかかる橋。この路面電車の赤が、少し青みがかった赤なのがいい。 ![]() 13日の午後にベルンからチューリッヒに移動して、ちょっと時間をつくってチューリッヒ市内を歩き、時計博物館で調べものや質問をいろいろしてきた。 14日の朝9時半からの TypoZürich では私が最初の講演者で、内容はフルティガーさんと共同制作した書体 Frutiger Serif について。会場は80人くらいの席がいっぱいになっていた。講演が終わってすぐホテルに戻り、荷物を持ってチューリッヒ空港から飛行機でドイツに戻る。飛行機での旅はやっぱり移動中に仕事ができないのがちょっとつらい。でも収穫の多い旅でした。 2008年 11月 09日
ドイツに戻ったら景色はこんなふうでした。うちのアパートの前の古代ローマ人住居跡にも秋が。
![]() これは11月2日の写真で、ここに写っている木の葉はこの一週間でほとんど落ちた。日が短くなって、朝明るくなるのは7時半、夕方は5時過ぎに暗くなる。自転車にライトがついていないし、畑のなかの一本道を通るのでその時間に合わせて7時半出社・5時退社。最高気温が15度以上あって、案外寒くはない。穏やかに晴れた一週間だった。 時差ぼけは一日で治ったが、時間がちょっとずれたままになった。家族と久しぶりに過ごす一週間だけど、夜9時前に眠気がおそってフラフラの状態で子供たちより早くおやすみをいってベットに入ってしまう。毎日たっぷり8時間くらい寝た。 日本でのセミナーの反響が届き始める。大阪の反応がとくに多くて、東京はこれまで何度もやっているが、今回大阪は初めてだったけれど良い反応ばかりでうれしい。こういうのがあるから少しくらい過密な予定でもお受けして良かったなあと思う。 11月7日は父の79歳の誕生日、11月8日はツァップさんの90歳の誕生日。ツァップさんには、毎年寄席文字で書いたカードを送っている。8日の朝は、子供たちが電話で父におめでとうを言った。 11月14日にスイスの チューリヒで公演 をすることになっていたのを、日本に行く直前まで忘れていた。月曜から木曜まで、たまっていた仕事をてきぱきとかたづけて、金曜でスライドの準備をする予定だったがけっきょく自宅に持ち帰り、土曜日までかかってできた。 どうせスイスに行くのなら効率よくやろうと、前から予定していたフルティガーさんとの共同制作も入れたので、ドイツに戻ってすぐフルティガーさんに電話を入れた。元気そうで、私の来るのを楽しみにしてくれている。前回フルティガーさんのところに行ったのは8月下旬だったので2月半ぶり。そのため明朝7時半の飛行機で一週間スイス出張です。スイス出張中にも、別の制作中の書体の最終チェックなど会社とのやりとりもメールで行う予定。なんとか時間を作って、スイスで自転車用のライト買ってこよう。
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